この日、世界の時が止まった。時代を作り上げたスーパースターの、突然の訃報――。人々が自分の一部をなくしたと感じたあの日。それほど、彼はコートでまばゆい光を放っていた。コービー・ブライアント。目を閉じれば、いつでも彼の姿が鮮明に甦る。 1978年、コービーはペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれる。当時、フィラデルフィア・76ersの選手だった父ジョーがその後イタリアリーグへ移籍したことで、コービーは6歳から7年間イタリアで過ごす事に。フィラデルフィアに戻ったあとはローワー・メリオン高校に入学。ここで州の最優秀選手に選ばれ、一躍注目を集めた。 高卒でNBAドラフトにエントリーしたコービーは、1巡目13位でシャーロット・ホーネッツに指名され、その後トレードでロサンゼルス・レイカーズへ。こうして、パープル&ゴールドのジャージを身にまとうコービー・ブライアントが誕生した。 背番号は「8」。これは、高校時代に参加したバスケットボールキャンプの背番号が「143」で、それぞれの数字を足したら「8」になる事。そして小さい頃イタリアでつけていた番号が「8」だったから。これは当時イタリアで活躍していたマイク・ダントーニの背番号が由来と言われている。
ルーキーイヤーはそれほど出場時間をもらえなかったが、オールスターでのダンクコンテストでコービーの名が一躍知れ渡る。史上最年少優勝を果たし、全米にその名を轟かせたのだ。 コービーは自身の入団と同じ年に移籍してきたシャキール・オニールと共にチームを牽引していたが、優勝には手が届かなかった。そんな中、ブルズを6度の優勝に導いたフィル・ジャクソンがレイカーズの指揮官となり、全てが動き出す。 コービーは、平均22.5得点、6.3リバウンド、4.9アシストをマーク。チームはレギュラーシーズントップの勝率を記録し、自身初のNBAファイナルへ進出。その大舞台でもシャックとコービーが目覚ましい活躍を披露し、勢いそのままに悲願のNBA制覇を達成した。コービーにとっては入団4年目での栄冠となった。 しかし、優勝を手にしても、コービーの探究心が衰えることはなかった――。