『シーズン停止中もNBAを楽しもう。トレーディングカード編』と題して、2週にわたりトレーディングカードの話を書いた。今週からはシリーズ第2弾、映画編をお送りする。映画編では、私が編集長を務めるバスケ雑誌『ダブドリ』に「シネトラ」という映画コラムを寄稿してくれているタツヤ・マキオ氏に協力を仰いだ。ちなみにシネトラは、NBAのフランチャイズ都市を舞台にした映画を紹介するコラムである。日本に住んでいるとわからない街ごとの空気の違いを、映画を通じて知ることができるので面白い。興味の湧いた方は、是非一度弊誌を手にとっていただければ幸甚である。 さて、タツヤ・マキオ氏からは「バスケ映画」、「NBA選手が出演している映画」の2ジャンルからお薦め映画をリストアップしてもらった。今週は氏が厳選した「バスケ映画」の中でもとりわけ評価が高い3作を、実際に鑑賞した上で紹介していこうと思う。
1つめは、ボストン・セルティックスとマイアミ・ヒートで優勝に貢献した名シューター、レイ・アレンが準主役を務めた『ラストゲーム』。あらすじはこうだ。デンゼル・ワシントン演じるジェイク・シャトルワースは、妻のマーサを殺した罪でアッティカ刑務所に服役していた。ある日刑務所長から呼び出されたジェイクは、高校ナンバーワン・プレイヤーの息子ジーザス(アレン)がビッグ・ステート大学に行くよう説得させることができれば、大のバスケファンで同大学出身の知事が刑期を短縮してくれるという取引を受ける。取引に応じたジェイクは6年ぶりに息子のジーザスと顔を合わせるが、ジーザスは母を殺した父を拒絶していた……。 『レイ・アレン自伝 史上最高のシューターになるために』によれば、この映画は1997年のオフに撮影されたという。ルーキーイヤーを終えたばかりのアレンは、当時22歳。童顔のため、高校生役も違和感がない。アレンにとっては初めての映画出演だったが、そうは思えない自然な演技を見せてくれる。NBAファンにとっては、ジーザスの活躍を称賛する報道の中にNBA関係者が多数出てくる場面が注目である。のちに自身のキャリアにおけるスリーポイント成功数記録をアレンに破られることになるレジー・ミラーや、1998-99シーズンからミルウォーキー・バックスのヘッドコーチに就任し、アレンと共にカンファレンス・ファイナル進出を果たすことになるジョージ・カールが出演していて、今振り返ると実に興味深い。 この映画を見て感じたのは、映画作りにおける写実と幻想の配分の難しさだ。ラストシーンの描写は幻想的で美しい。しかし、そこに至るまでにバスケットボール絡みの金銭問題、貧困、人種間の隔たりなどを生々しく描写することで、スパイク・リー監督は映画にリアリティを与えている。この構成はよく練られていると思うが、問題なのはジェイクの妻でありジーザスの母であるマーサが死ぬ場面である。とても人殺しなんてしそうにないジェイクが、なぜマーサを殺したのか。ジェイクとジーザスの父子関係がこじれるきっかけとなった話であり、本作の重要な鍵であるはずだが、その描写が写実的でも幻想的もない。なんだかプロットの都合を一身に引き受けたような死に方である。観終わるまでそこが消化不良のまま残ってしまったのが残念に思えた。 ちなみにレイ・アレンの好演が光る本作だが、リーは他にも複数のスター選手をオーディションに誘ったらしい。中でもリーはコービー・ブライアントがオーディションを受けることを強く望んでいたが、「バスケに集中するため」という彼らしい理由で断られたそうな。もしコービーが演じていたら、一体どんなジーザス・シャトルワースが見れただろうか。そんな想像をしてみるのも一興である。
2つめに紹介する映画は、1966年のNCAAを舞台にした『グローリー・ロード』だ。高校の女子チームを監督していたドン・ハスキンズが、テキサス・ウエスタン大学のコーチに招聘されるところから物語が始まる。NCAAディビジョン1のヘッドコーチになれると喜んでいたハスキンズだが、就任してみると設備はボロく、スカウトに使う資金もないという事実に直面する。当然ハスキンズのリクルートはことごとく失敗に終わっていた。そんなある日、とある黒人選手のプレーにヒントを得たハスキンズは、黒人選手を中心にスカウトすることを思いつく……。 未だ黒人差別が色濃く残っていた1960年代。バスケットボールもその例外ではなく、黒人選手はホームでは1人、アウェイでは2人、負けている時で3人までしかコートに出さないという暗黙のルールがあった。この暗黙のルールに従えば、ベンチに登録できる黒人選手は3人までとなる。しかし、それを打ち破って7人の黒人選手を加えたテキサス・ウエスタン大学が快進撃を始めるという内容なのだが、なんとこの映画は実話に基づいている。NBAファンとしての注目ポイントは、若き日のパット・ライリーが優秀な選手として登場することと、エンドロールにライリー本人が登場し、当時を回想することだろうか。
実を言うと、私は実話ベースの話が苦手である。好きな映画を3つ挙げろと言われれば『ビッグ・フィッシュ』、『マルホランド・ドライブ』、『沈黙の要塞』と答えるぐらいで、映画の中では日常を忘れて空想の世界に浸りたいと思っている。そんな私が泣いたと言えば、端的にこの映画の魅力が伝わるだろうか。『グローリー・ロード』は実話に基づいていながらも、ちゃんと観る者を映画の世界に引きずりこんでくれるのだ。そしてもう1つ重要なのは、NCAAの歴史に不案内だろうが、黒人差別の歴史に疎かろうが、関係なく楽しめるということ。現に私はそのどちらにも明るくない。バスケファンなら観て後悔はしないだろう。
今回のコラムで唯一NBA関係者が1人も出てこないのがこの『ハード・プレイ』だ。ある日、賭けバスケで白人のビリーと黒人のシドニーが勝負する。白人だからという理由で舐めていたシドニーだったが、結果はビリーの勝利。実はビリーは以前大学で活躍していたバスケットボール選手だったのだ。ビリーの実力を認めたシドニーは、賭けバスケで稼ごうとビリーに持ちかける。ビリーには金を稼がなければならない理由があり、シドニーの誘いに乗るのだが……。 原題は“White Men Can’t Jump(白人は跳べない)”で、こちらの方が邦題よりしっくりくる。『グローリー・ロード』の時代から20年以上過ぎ、本作の舞台である90年代には白人より黒人の方がバスケットボールが上手いと認識されている。そのため、ストリートコートでは白人が黒人から逆差別を受ける。バスケが上手いビリーは、そのステレオタイプを逆手にとって賭けバスケで勝利を重ねるのだが、そんなビリーにも黒人のようには跳べないというコンプレックスがあった。このコンプレックスがクライマックスへの重要な伏線となっているのだが……誰だ邦題をつけたのは。
さて、映画の出来としては良作であると私は思う。テンポの良いコメディなので、『ラスト・ゲーム』や『グローリー・ロード』より気楽に観ることができる。本作を見ていて羨ましく思ったのが、バスケシーンが様になっていることだ。ビリー役のウッディ・ハレルソン、シドニー役のウェズリー・スナイプスは共にこの作品のあとも長く太いキャリアを築くことになる名優だが、2人のバスケシーンに全く違和感がない。俳優を集めてこうしたバスケシーンが撮れることを見ると、どれだけバスケットボールがアメリカに根付いているかがわかる。イライラせずに日本の映画やドラマのバスケシーンを観れる日が来るのはいつになるだろうか。
以上、今週はタツヤ・マキオ氏お薦めの「バスケ映画」をレビューした。自粛モードで時間のある方は、是非オススメ度が高い順に観てほしい。来週は「NBA選手が出演している映画」を紹介する予定である。To Be Continued.
大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。