「NBA Rakuten」では8月7日(土)から9月中旬まで、毎週末にNBAレジェンドをフィーチャーしたクラシックゲームを配信する。今週末は1980年代にNBA人気を牽引した、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)だ。 現役でプレイしている頃から“レジェンド”と称されていたバードは、13シーズンの現役生活の間で数々の好勝負を演じ、文字通り伝説を残してきた。 なお、鳥のマークでお馴染みのツイッターのロゴは、先代のアイコンの名称が「ラリー・バード」だったという逸話がある。ツイッター社にバードのファンがいて、彼が素晴らしい選手であったからというのが理由だ。 そんなバスケットボール以外にも影響を与えた男の名勝負。今週末配信する2試合を紹介しよう。※LEAGUE PASS、TEAM PASS、BASIC PASSユーザーが視聴可能。
1979年のNBAデビューから1992年の引退まで、常にセルティックスをリーグ上位に導いていたバードだが、最も総合力が高かったと評されているのが1885-86シーズンのチームだった。シーズンで67勝15敗と圧倒的な強さを見せつけると、プレイオフでもマイケル・ジョーダンを擁するシカゴ・ブルズ、点取り屋ドミニク・ウィルキンスがいるアトランタ・ホークス、当時イースト2位の57勝を挙げていたミルウォーキー・バックスを次々と撃破。その間、わずか1敗しか喫さずにNBAファイナルへと駒を進めた。 対するは、キャリア3年目のラルフ・サンプソン(224cm)と同2年目のアキーム・オラジュワン(213cm)というビッグマン2人を擁するヒューストン・ロケッツ。高さに加えて機動力も有した2人は“ツインタワー”と称された。彼らの活躍に導かれ、カンファレンス決勝では前年王者ロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で下し、優勝した1983年以来3年ぶりにファイナルの舞台へ返り咲いたのである。 ファイナルは3勝2敗でセルティックスがリード。チーム16度目の優勝に王手をかけた一戦で、バードが持ち前の多様性を存分に発揮する。身体能力こそ平凡だったバードがなぜレジェンドと称されるのか。その理由が端々に凝縮された試合である。
負ければカンファレンス準決勝敗退が決まるこの試合は、バードとドミニク・ウィルキンス(アトランタ・ホークス)による点の取り合いが見ものだ。ともにSFの2人は序盤から激しいマッチアップを繰り広げ、特に壮絶さを増した第4クォーターの攻防は“The Duel(決闘)”と称される。この一戦をバードのベストゲームとして挙げる現地の識者は少なくない。 バードとともにセルティックスでプレイしていたケビン・マクヘイルは、「まるで2人のガンマンが、相手が瞬きするのを待っているようだった」と振り返る。コート内が2人の緊張感に満ちていたことがよく分かるコメントだ。 当時ホークスのアシスタントコーチで、かつてバードとチームメイトだったドン・チェイニーは、「彼はボールを欲しがり、プレイをやり遂げた。それがスーパースターというものだ」と、バードの集中力と支配力を称賛している。 なお、3ポイントは2人あわせて5本しか打っていない。現代とは違った1オン1がどういうものだったのかをチェックできるという点でも、一見の価値はあるだろう。 ■プロフィール 生年月日:1956年12月7日 ポジション:フォワード 背番号:#33 出身:アメリカ 身長・体重:206cm・100kg 出身校:インディアナ州立大 ドラフト:1978年1巡目全体6位(ボストン・セルティックス) 通算成績:897試合、平均24.3点、10.0リバウンド、6.3アシスト ■主なタイトル NBA優勝:3回(1981、1984、1986年) ファイナルMVP:2回(1984、1986年) MVP:3回(1984、1985、1986年) オールスター選出:12回(1980~1988、1990~1992年) オールスターMVP:1回(1982年) 3ポイントコンテンスト優勝:3回(1986~1988年) オールNBA1stチーム:9回(1980~1988年) オールNBA2ndチーム:1回(1990年) オールディフェンシブ2ndチーム:3回(1982~1984年) 新人王(1980年) バルセロナ五輪優勝(1992年) 最優秀ヘッドコーチ賞:1回(1998年) 最優秀エグゼクティブ賞:1回(2012年)