その男は静かに、そして常に勝利に身を捧げていた。 超人達が華やかなプレイで競い合うNBAの中で、ただ黙々と勝利へと邁進した。常勝軍団の絶対的支柱、ビッグ・ファンダメンタルこと、ティム・ダンカン。 ダンカンは1976年、アメリカ領ヴァージン諸島で生を受ける。姉の影響から、幼い頃は水泳にのめり込み、ジュニアオリンピックの代表に選ばれるほどの実力だった。しかし、ハリケーンの襲来で施設が倒壊し水泳を断念。そしてバスケットボールを始めたのは、なんと中学に入ってから。プロ選手としては遅いキャリアのスタートである。 それでもウェイク・フォレスト大で頭角を現したダンカンは、1997年にドラフト全体1位でサンアントニオ・スパーズから指名を受けたのだった。 当時のスパーズは、リーグを代表するセンター、デイビッド・ロビンソンが核として存在していた。そこにダンカンが加入したことで、ビッグマンデュオ、通称ツインタワーが誕生した。ダンカンは人格者でもあるロビンソンからNBAのイロハを学び、ロビンソンもまた、ダンカンの加入によって自身の負担が軽減。栄光への歯車が噛み合った瞬間だった。
NBAデビュー後、ダンカンはいきなり凄まじいプレイを見せる。平均21.1得点、11.9リバウンド、2.5ブロックという驚異の成績を残し、新人王、さらにはオールNBA1stチームにも選出される。基本に忠実なプレイで確実に結果を出すことから、“ビッグ・ファンダメンタル”と呼ばれるようになった。 翌シーズンはプレイオフで快進撃を見せ、スパーズはNBAファイナルに進出する。相手は第8シードから勝ち上がってきたニューヨーク・ニックス。大舞台でもひるむこと無く躍動するダンカンに導かれ、スパーズは4勝1敗で悲願の初タイトルを獲得した。 ダンカンは、シリーズ平均27.4得点、14リバウンドと大活躍を見せ、デビュー2年目にしてファイナルMVPを勝ち取った。 そこから数年の間、スパーズには強力な仲間が加わる。フランスからやって来たスピードスター、トニー・パーカー。アルゼンチンのテクニシャン、マヌ・ジノビリ。後にリーグを席巻する3人が揃ったのだ――。