現地11日、サンアントニオ・スパーズは、メンフィス・グリズリーズに109対113で敗れた。それでも本拠地AT&Tセンターに詰め掛けた1万8,627人の観客は、誰も席を立つことはなかった。試合後、トニー・パーカーの永久欠番セレモニーが行われたからだ。 パーカーは大歓声のファンに向かって、こう感謝を述べた。「サンアントニオ、ホームにいるのは最高の気分だ。サンアントニオはいつも僕にとってホームであり続ける。それをみんなに知ってもらうのは大切なことだ。ありがとう、スパーズファン」 パーカーの背番号9は、スパーズにとって10人目の永久欠番となる。チーム在籍17年の間で、彼は4度のNBA制覇を達成。2007年には、欧州出身選手では史上初のファイナルMVPを受賞するなど、ティム・ダンカン、マヌ・ジノビリと共にビッグ3としてリーグ史に残る黄金時代を築いた。すでにダンカンの21番は2016年、ジノビリの20番は昨シーズンに永久欠番となっている。今回の式典には盟友の2人も出席し、スピーチを行った。 ダンカンは、指揮官グレッグ・ポポビッチがパーカーに長い間、つらくあたってすまなかったとのジョークを引きあいに出してこう語る。「ポップは彼に何かを見出した。そして最初の数年、彼への尊敬はどんどん増していった。彼は僕が見た中で、最も厳しい指導を受けた選手だ。だから、ポップの謝罪は正しいと思うよ」 そしてパーカーと一緒にプレイできたことを「入団当初、この少年が残りのキャリア全てを一緒にプレイしたいポイントガードになるとは思わなかった。彼と素晴らしい現役生活を送ることができた。僕にとって彼以上の司令塔はいない。ありがとう、トニー」と締めくくった。 ジノビリは、パーカーへの思い出を次のように語る。「彼が加入した初日から、僕たちは本当に信頼できるポイントガードを得た。当時、彼は19歳だったけど経験豊富な選手で、僕を楽観的にさせてくれた。最初から大きな信頼を寄せていて、TP(パーカー)とは15年間、1,000試合以上も一緒にプレイして多くの勝利と敗戦、何百回の食事やチームバスでの会話をした。その中で一度も口論になったことはない。8ヶ月前、僕もこの場で永久欠番となった時に言ったけど、これは本当に嬉しいことだ。君のこれからのキャリアがよいものになることを祈っている。これまでの全てにありがとう」 また、ビッグ3と一緒に戦えたことをポポビッチHCは「史上最高ではないかもしれないが、少なくとも私は最も幸運なコーチの1人だ」と感謝する。「彼らと長い間を過ごし、人として、選手として成長していく姿や多くの人々との交流を見ることができたのは注目すべきことだ。3人の殿堂入り選手がここまで長い間、一緒にプレイできるとは思わない。セレンディピティ(素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること)とか運が良いとか、何でも好きなように言ってくれていい。ただ、彼らと一緒に戦えたことは間違いなく光栄なことであり、幸運だった」