“キング”ことレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)のキャリアを語るうえで、2010年夏にクリーブランド・キャバリアーズからマイアミ・ヒートへの電撃移籍は避けては通れない。かつての同僚は、ジェームズが近年の“スーパーチーム”の風潮を作ったと主張している。 2003年のドラフト全体1位指名でNBA入りしたジェームズは、キャブズの絶対的なエースとなり、リーグの顔をしても君臨したが、7年間でリーグ優勝を果たすことができず、2010年夏にフリーエージェントでヒートへ移籍。同期のドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュ(当時トロント・ラプターズから移籍)と“スリーキングス”を結成し、2012年、13年にNBAタイトルを獲得した。 その後、2014年にキャブズに復帰して16年に優勝、18年から所属するレイカーズでも20年に頂点に立ってきたジェームズだが、キャブズ時代に共闘したイマン・シャンパートは『Bootleg Kev podcast』で、ケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)が16年夏にオクラホマシティ・サンダーからステフィン・カリーやクレイ・トンプソンが在籍するゴールデンステイト・ウォリアーズへ移籍したことに触れる際、ジェームズに対して厳しい見解を突きつけた。 「ブロン(レブロンの愛称)がマイアミに行った時、バスケットボールを台無しにした。彼はバスケットボールをより良くしたと思っていたけどね。個人的には、NBAには忠誠心があると思っていたし、それが好きだった。ただ、ブロンが第四の壁(フィクションと現実世界の境界線)を打ち破ったんだ。たしかに、ビジネスとしては素晴らしい動きだったとは思うよ」 シャンパートは、ジェームズが現代のスーパーチームの風潮を作ったと主張する。 「トッププレーヤーがほかの誰かと組んだ年を見てほしい。一番近い例はシャック(シャキール・オニール)だが、彼はペアを組む必要があり、それがコビー(ブライアント)だった。ブロンにはその必要がなかった。俺はこれについて1日中議論することができる」 NBAの歴史を振り返るうえで、ジェームズの「The Decision」は今後も語り継がれていきそうだ。