「NBA Rakuten」では8月から9月中旬まで、毎週末にNBAレジェンドをフィーチャーしたクラシックゲームを配信する。今週末にフィーチャーするのは、先週紹介したラリー・バード(元ボストン・セルティックス)とともに1980年代のNBA人気を牽引した、マジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)の名勝負だ。 高校生の頃に新聞記者につけられたニックネーム“マジック”という異名の通り、まるで魔法がかったかのようなノールックパスで観る者を魅了した。勝負強さも折り紙つきで、自らの一発で勝負を決めた試合も少なくない。13シーズンで5度チームを頂点に導いたことから、現地メディアでしばしば行なわれる「歴代最高のポイントガード」を決める企画では、今でも1位に挙げられることが多い。 206㎝の大型PGであったマジックの輝かしいキャリアを振り返るにあたり、NBA史に残る“名場面”が生まれた伝説の2試合を紹介する。
1987年のNBAファイナルは、宿敵ボストン・セルティックスとのシリーズとなった。2年ぶりの頂点を目指すレイカーズはホームでの2試合を制したものの、第3戦では地元に戻った前年覇者セルティックスが息を吹き返し白星を取り逃した。そして第4戦は再びボストン・ガーデンで行なわれたのだった。 前半に16点のリードを許したレイカーズだったが、後半に意地を見せて猛追。最終盤でついに1点差まで詰め寄って見せた。そこからの両チームによる手に汗握るせめぎ合いは、観る者にも息つく暇を与えないほど緊張感に満ちたものに。そんななか、試合残り数秒でボールを託されたマジックは、セルティックスが誇る強力なフロントラインを前に“ジュニア・スカイフック”を放つ――。 この劇的な一発はもちろん、そこに至るまでの展開すべても見届けたい一戦だ。
1991年のNBAファイナルでマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに敗れたマジックは、リベンジを期して翌シーズンに備えていた。しかし1991年11月、マジックはHIVウイルス感染を理由にNBAからの引退を表明する。あまりに突然の出来事に、バスケットボール界はもとより世界中に衝撃を与え、悲しみに包まれた。 それから数か月後、コートを去っていたマジックが1992年のNBAオールスターにファン投票によって選出される。投票用紙に名前が残っていたのだ。両カンファレンスを通して最多の票数を獲得し、マジックはスターターでプレイすることになる。 試合では以前と変わらずコートを支配するマジックの姿が見られた。それだけでも十分感動的だったのだが、試合最終盤に忘れがたい名場面が生まれる。親友2人――アイザイア・トーマスとマイケル・ジョーダン――と1オン1を繰り広げたのだ。アリーナ内のすべての視線を一身に浴びるなか、子どもの頃に戻ったかのように純粋に1オン1を楽しむ彼らの姿は、きっと忘れられないものとなるだろう。
■プロフィール 本名:アービン・ジョンソンJr. 生年月日:1959年8月14日 ポジション:ポイントガード 背番号:#32 出身:アメリカ 身長・体重:206cm・100kg 出身校:ミシガン州立大 ドラフト:1979年1巡目全体1位(ロサンゼルス・レイカーズ) 成績:平均19.5点、7.2リバウンド、11.2アシスト ■主なタイトル NBA優勝:5回(1980、1982、1985、1987、1988年) ファイナルMVP:3回(1980、1982、1987年) MVP:3回(1987、1989、1990年) オールスター選出:12回(1980、1982~1992年) オールスターMVP:2回(1990、1992年) オールNBA1stチーム:9回(1983~1991年) オールNBA2ndチーム:1回(1982年) バルセロナ五輪優勝(1992年) アシスト王:4回(1983、1984、1986、1987年) スティール王:2回(1981、1982年) NCAA優勝:1回(1979年)