レイカーズオーナー、2004年シャック放出にコービーの要求はなかったと主張「多くの人が責任を負わせようとしている」

シャキール・オニールとコービー・ブライアントは、2000~02年にロサンゼルス・レイカーズで3連覇を果たすなど、史上最高のデュオの一つとして語り継がれている。確執が取り沙汰されていたなか、2004年7月にシャックがマイアミ・ヒートにトレードされて別々の道を歩むことになったが、コービーがその事態を招いたわけではなかったと、現オーナーのジニー・バスが振り返った。 シャックとコービーのコンビが誕生したのは、1996-97シーズンのこと。シャックがオーランド・マジックから完全FA(フリーエージェント)で、シャーロット・ホーネッツにドラフト指名されたコービーがトレードで加入してチームメイトとなった。 最初の2年間はコービーが控えだったが、1998-99シーズンから強力デュオが本領を発揮。翌年から3連覇を果たし、レイカーズに黄金期をもたらした。その一方で、両者は対照的なキャラクターもあり、徐々に確執が表面化。2004年夏にシャックがレイカーズを去り、コービーが単独エースに昇格する結末を迎えた。 しかし、レイカーズがシャック放出に踏み切ったのは、コービーが要因ではなかったと、現オーナーのジニー・バスがポッドキャスト『All The Smoke』で明かしている。 「シャックはCBA(労使協定)の下で認められ、合法的な金額を望んでいたけれど、私の父(ジェリー・バス)が支払っていいと思っていた額ではなかった。そして、シャックをトレードするという決定を下すに至った。多くの人々がその責任をコービーに負わせようとしている。でも、そうではなく、単純に金融事情の問題だった」 『NBCスポーツ』のカート・ヘリン記者によれば、シャックはレイカーズと再交渉、そして契約延長を望んでいたが、両者には900万ドル(現在のレートで約9億7000万円)の開きがあったという。同時に、コービーは自らのトレードをチームに要求していたとされ、当時のオーナーであるジェリー・バスは、シャックとコービーのどちらかを選ぶ岐路に直面し、結果的に若いコービーに賭ける形となった。 当時、シャックとレイカーズの間で金額面の折り合いがついていたら――。もしかしたら、シャック&コービーによる黄金期はしばらく続いていたのかもしれない。

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