カロン・バトラー、”最も守るのが難しかった選手”にコービー選出「すべてが可能だった」

カロン・バトラーはNBAキャリア14年でオールスター出場2回を果たし、2011年にはダラス・マーベリックスで優勝リングも手にしたスウィングマンだった。シュート力だけでなく、フィジカルの強さを生かしたディフェンスでも存在感を示した男が最も手を焼いた相手が、元同僚で今年殿堂入りが決まったコービー・ブライアントだったという。 右膝の手術でプレイこそできなかったものの、2011年に所属していたマブズで優勝も経験したバトラーは、『Bleacher Report』のインタビュー企画『B/R AMA』でファンからの質問に回答。「キャリアで最もガードするのが難しかった選手は?」と問われると、現役時代に幾度となく対戦し、2004-05シーズンに1年だけロサンゼルス・レイカーズで共闘したブライアントだと明かした。

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「間違いなくコービー・ブライアントだ。物事をコントロールできる唯一の男だった。相手を置き去りにし、ゴールを決められる。とこからでも得点できて、左に行くことも、切り返すことも、すべてが可能だった。T-MAC(トレイシー・マグレディ)も印象的な攻撃力を備えていた。彼も止められなかった」 バトラーの1歳年上だったコービーは、今年1月にヘリコプター墜落事故に巻き込まれて急逝。バトラーは「コービー・ブライアントとの一番好きな瞬間」に、事故前の会話を挙げている。 「彼が(ヘリコプター墜落)事故に遭う2週間前の最後の会話は忘れないだろう。(人生の)第2幕や家族について話をした。コービーは常に、もっと良い自分になるように私に要求してきた。彼の存在は私の人生にとってとてつもない財産であり、目標や使命について考えさせてくれた。心底、彼が恋しいよ」 2002年にマイアミ・ヒートでNBAキャリアをスタートさせたバトラーは年々シュートエリアを広げ、自身3チーム目となるワシントン・ウィザーズ時代、2007-08シーズンから2年連続で平均20得点をクリア。さらに、2006-07シーズンにリーグ3位の平均2.1スティール、翌2007-08シーズンにも同4位の平均2.2スティールを記録したディフェンスも評価されていた。引退後はバスケットボール解説者として活躍している。

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