ラストショットで終わらなかった1998年のファイナル。ロッドマンとマローンによる”場外乱闘”【大柴壮平コラム vol.26】

あまりにも有名なジョーダンのラストショット

「NBA Rakuten」がクラシックゲームのラインナップを拡充している。新型コロナウイルスによるシーズン中断で娯楽を失った我々NBAファンには朗報である。試しに1984年のファイナル第7戦を観てみた。1984年と言えばマジック・ジョンソンを擁するロサンゼルス・レイカーズと、マジックの好敵手ラリー・バード率いるボストン・セルティックスが対決したシリーズである。私が3歳の頃の試合なので選手たちにもあまり馴染みがなかったが、新たに日本語解説がついていたので当時の知識を補いながら楽しく観戦できた。 クラシックゲームには我が青春時代の試合もラインナップされている。後期スリーピート時代のシカゴ・ブルズの2試合は、BSの放送を録画して観ていたので懐かしい。特に1998年ブルズ対ユタ・ジャズのファイナル第6戦は、シカゴ王朝の最後の試合であると同時に、マイケル・ジョーダンが伝説的なラストショットを決めた試合として有名である。強烈なクロスオーバーで崩れ落ちるブライオン・ラッセルを尻目に悠々とジャンプショットを決めるジョーダンの映像は、NBAファンなら一度は目にしたことがあるだろう。 逆転を期したジョン・ストックトンの3ポイントがリングに嫌われたところで、試合は終了した。ジョーダンが指を6本立てて自身6度目の優勝をアピールする。大方のNBAファンの記憶はここで止まっているだろう。しかしこの試合の裏で、もう1つの試合が動き始めていたことを皆さんはご存知だろうか?

NBA屈指の名場面の1つであるジョーダンのラストショット

全米が興奮した2つの社会現象

話は試合の第3クオーターに戻る。残り6分、ルーズボールの奪い合いからカール・マローンとデニス・ロッドマンが倒れ込んだ。2人は互いの邪魔をすべく体をぶつけあい、なかなか起き上がれない。最後はマローンがタックルのようにロッドマンを倒すも、ロッドマンの腕に足が絡まり再び転んでしまう。ここでようやく笛が吹かれるのだが、実はこの時に実況のボブ・コスタスが重要なリークをしている。 「ロッドマンとマローンは遺憾なことに来月プロレスの試合に出る予定だ。なんでマローンが自分の価値を下げるようなことをしたいのかはわからないが、ロッドマンは今からでも試合を始めたいように見える」 NBAのスター選手、それも後に殿堂入りするほどの名選手2人が、ファイナルで試合を終えた翌月にプロレスで戦うというのだ。これは前代未聞の出来事だった。 時代背景を説明しよう。当時のプロレス業界は、やり手経営者のビンス・マクマホン率いるWWF(現WWE)とワーナー・グループという巨大資本をバックにつけたWCWが視聴率を奪い合う、通称「マンデイ・ナイト・ウォー(月曜夜の戦争/両団体が毎週月曜日の同じ時間帯に看板番組をぶつけていたため名付けられた)」の最中だった。この時期は両団体が切磋琢磨することで、アメリカでのプロレス人気が急上昇していた。中でもWCW内のユニットnWoは、ロゴ入りのTシャツが流行るなど社会現象となった。 そしてこの時期、同じく社会現象を巻き起こしていたのがロッドマンだった。ロッドマンは1995年にシカゴ・ブルズに加入すると、瞬く間に人気者となった。実力はありながらも奇行と暴言を繰り返す。著書の中ではNBAコミッショナーのデイビッド・スターンを批判し、マドンナとの交際を赤裸々に綴る。1997年、そんなロッドマンと人気ヒール(悪玉レスラー)のnWo、2つの社会現象が1つになった。ロッドマンがnWoのメンバーとしてプロレスデビューしたのである。

左からダイヤモンド・ダラス・ペイジ、マローン、ロッドマン、ハルク・ホーガン

WCWのリングに上がったロッドマンとマローン

ロッドマンが1998年のオフにリングに戻ってくる。そんな噂を聞きつけて動いたのが、当時WCWのベビーフェイス(善玉レスラー)だったダイヤモンド・ダラス・ペイジだ。ペイジは、nWoのリーダー、ハルク・ホーガンとロッドマン対ペイジ、そしてペイジと親交のあったマローンのタッグマッチを思いついたのだ。最初は迷っていた上司のエリック・ビショフも、プレイオフでユタ・ジャズが勝ち上がるのを見てゴーを出すと、元々大のプロレス好きだったマローンもこのアイデアを快諾したのだった。 試合が決まると、プロモーションが始まった。まず、ロッドマンがファイナルの第3戦後にシュート練習とメディアセッションをすっぽかし、WCWの冠番組『マンデイ・ナイトロ』の収録に参加。ペイジをパイプ椅子で襲撃する。さらにファイナルが終わると、人気トークショウ“The Tonight Show With Jay Leno”に4人で出演、小競り合いを演じてみせた。プロモーションの裏側では、プロレス初参戦のカール・マローンが、WCWのレスラー養成所「パワー・プラント」で日夜特訓に明け暮れていた。 試合は7月12日、“Bash At The Beach”というペイ・パー・ビュー大会(通常の番組と違い視聴者は課金しないと見れない大会)のメインイベントとして行われた。自身のキャラクターを最大限に活かし、ヒールとして挑発や反則を繰り返すロッドマンもいい味を出していた。しかし、一方のマローンの仕上がりは本気だった。NBAでも屈指のパワーを活かしてホーガンを投げ飛ばし、ロッドマンにはダイヤモンド・カッターをお見舞いする。最後はnWo側のディサイプルの乱入でホーガンとロッドマンのタッグが勝ち名乗りを上げたが、マローンは乱入を見逃したレフリーにもダイヤモンド・カッターを決め、大歓声を浴びた。ホーガン、ペイジというベテランに支えられていたとは言え、メインイベントを盛り上げることに成功した2人のNBA選手は天晴だった。


1984年のファイナルに出ていた『ショウタイム』と呼ばれた頃のレイカーズは、私にとっては伝説的な存在である。リアルタイムで観ていないというだけでなく、マジック・ジョンソンの女遊びやジェームズ・ウォージーの逮捕の話に、私は時代の隔たりを感じてしまうのだ。 同じように、今の若者から見れば90年代は遠い時代の伝説だろう。このコラムを書きながら、私はそう気づかされた。ファイナルの1か月後に、ドレイモンド・グリーンとパスカル・シアカムがプロレスのメインイベントで戦う姿を想像できるだろうか。昨今は、シーズン中でさえロード・マネージメントと称して休養を取るのが流行りである。オフシーズンに怪我のリスクを背負ってプロレスに出る選手はいない。NBA選手は、全きアスリートになった。競技にとって、それは素晴らしいことだと私は思う。しかし、ロックな生き様で人々を魅了したロッドマンや、少年時代の夢を叶えるために冒険したマローンのような選手が2度と出てこないだろうことを思うと、少し寂しくもある。 「あの頃は良かった」という台詞は最も顕著なる老いの証しで口に出すのは躊躇われるが、そんな言葉を発さずとも、ロッドマンとマローンの激闘を見返して感じるこの興奮は感傷であり、感傷は老いであることを、私はつくづく自覚しているところである。

大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。

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