カーメロ・アンソニー、復活の要因は愛息の存在「諦めてはいけないと思わせてくれた」

カーメロ・アンソニーは昨年11月にポートランド・トレイルブレイザーズと契約するまで、約9か月の無所属期間があった。通算得点で歴代トップ20入り、オールスター出場12回を誇る実績から、当初は自分の現状を「恥ずかしい」と思ったというが、愛息の存在がNBAの舞台に戻るきっかけになったと明かしている。 2003年ドラフト1巡目3位でデンバー・ナゲッツに指名されてNBA入りしたカーメロは、自慢の得点力を武器にルーキーイヤーから活躍。2010-11シーズン途中にニューヨーク・ニックスへ移籍すると、2012-13シーズンには平均28.7得点を記録して自身初の得点王に輝いた。2014年1月には聖地マディソンスクエア・ガーデンでキャリアハイとなる62得点を挙げるなど、リーグを代表するスコアラーとして活躍してきた。 昨季途中にヒューストン・ロケッツから放出され、トレード先のシカゴ・ブルズも解雇される憂き目に遭い、9カ月以上も無所属の期間が続いたなか、昨年11月にブレイザーズと契約。35歳となったベテランはデイミアン・リラード、CJ・マッカラムに次ぐ第3の攻撃オプションとして復活し、平均15.3得点、6.3リバウンド、1.6アシストを記録している。 ただ、無所属になった当初は現実を受け入れられない自分がいたようで、NBAにいない状況に直面することを恐れ、13歳の息子キヤンくんのAAUトーナメント観戦を躊躇していたという。カーメロはブレイザーズの同僚であるマッカラムの『Pull Up Podcast』に出演し、当時の胸中を明かした。 「俺は自分に疑問を持ち始めた。なぜ? 一体どうしたんだ? 俺は何か間違ったことをしたのか? 俺はまだプレイできるのか? これらの考えが頭を巡っていた。NBAにいない事実を恥ずかしく思う自分がいた。知っての通り、子どもたちは正直だ。『どうしたの、メロ?』という質問に応じたくなかった」 ただ、キヤンくんと日々を過ごすなかで、一度は離れたバスケットボールへの愛を思い出したという。 「バスケットボールから逃げたのは、試合から離れて平和に暮らす唯一の方法だと知っていたからだ。息子のバスケットボールと人生に、自分自身を重ね合わせたのは初めてだった。そして、子どもたちの自分への愛に気づいた。それが元居た場所に戻ろうと思うきっかけになったんだ。息子のトーナメントを観に行き、彼のチーム、彼のチームメイトと過ごした。子どもたちが諦めてはいけないと思わせてくれたよ」 同じ2003年ドラフト組のレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)は、35歳となった今もリーグトップクラスのプレイを披露している。カーメロがNBAで戦う姿をまだ見続けたいと思うファンも多いに違いない。

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