【WINDY CITY BLUES】ヒップホップ、R&Bから探るNBAとブラック・ミュージックの親和性 - 90年代

NBAの隆盛とともに活気づいたブラック・カルチャー。スター選手の音楽活動を中心に黄金の90年代を振り返る。


マイケル・ジョーダンがNBAで活躍し始めた80年代半ば以降、NBAの人気拡大とヒップホップを中心としたブラック・カルチャーの隆盛が、ほぼ同じタイミングで起こっていた。87年には当時のロサンゼルス・レイカーズのメンバーが反ドラッグを謳ったオールドスクール・ラップ調のシングル「Just Say No!」(制作はジョージ・デューク)も出され、以降、NBAとブラック・カルチャーは互いに影響を与え合いながら急速に発展を遂げていく。

「Just Say No!」

ラップ好きとNBA好きの架け橋になりたい(Bose氏)

NBAに造詣が深いスチャダラパーのMC、Bose氏はこう話す。 「バスケットボールがあるところには黒人音楽がある。文化的に一緒なんです。スポーツとしての特徴が、例えば1対1でのフリースタイル・バトルとか、ヒップホップと似ている部分がある。僕はニューヨーク・ニックスのファンですけど、ラップが誕生したのもニューヨークだった。ビースティ・ボーイズも普段からバスケをやっていて、彼らがセレブになってからは、スパイク・リーみたいに会場の最前列で見ている。日本だとラップ好きとNBA好きが分離していることが多くて……僕はその架け橋になりたいんですよね」 日本では、2000年にNIKEのキャンペーン・ソングとしてZeebra、Twigy、Dev Largeがマイクを回した「Player’s Delight」が制作されたことが当時話題となった。

「Player’s Delight」

一方、アメリカでは、「例えばジェイ・Zが「Empire State Of Mind」(2009年)の歌詞で“俺はドウェイン・ウェイドに賭ける”とラップしてたりするし、他の曲でも暗喩で選手の背番号を薬物のグラム数とかけていたりして、そのくらいNBAが日常的。ラッパーはNBAに憧れているし、NBA選手はラッパーと友達になってラップをやりたがる」とBose氏も言うように、両者には密接どころではない深い繋がりがある。

「Empire State Of Mind」

90年代に入る頃のゴールデンステイト・ウォリアーズで中心選手だったティム・ハーダウェイ、ミッチ・リッチモンド、クリス・マリンの3人をRUN・ DMCに準え、ファースト・ネームの頭文字から“RUN・TMC”と呼んでいたことも、NBAとヒップホップの親和性の高さを示す一例だろう。

さらに、レッド・ホット・チリ・ペッパーズは、最近では大谷翔平の隣で観戦をするほどのNBA好きとして知られるベースのフリー、ボーカルのアンソニー・キーデスがレイカーズのファンであることから、89年のアルバム『Mother’s Milk』にて「Magic Johnson」というレイカーズ賛歌を披露。NBAの影響は、ブラック・ミュージックを越えて様々なフィールドのミュージシャンにも及んでいる。

フロントロウで観戦するレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー

『Mother’s Milk』

ラッパーとしても成功を収めたNBA選手筆頭はシャック

 

〈P.ミラー・ボーラーズ〉という自身のバスケ・チームを主宰するニューオーリンズのマスター・P などはNBAに憧れたラッパーのひとりだが、反対にラッパーとしても成功を収めたNBA選手として筆頭に挙げたいのが、Bose氏いわく「ラップも上手で、体がデカくて見栄えも良かった」シャックことシャキール・オニールだ。シャックは90年代に計4枚のアルバムを発表。ジャイヴ・レコーズから出した初期の作品では、エリック・サーモン、ア・トライブ・コールド・クエスト、ウータン・クラン人脈などを起用し、自身のレーベルT.W.IsM.(The World Is Mineの略)から出した最初のアルバムにはノトーリアス・B.I.G.やボビー・ブラウンを招いていた。シャックの曲は、ジェイソン・キッドなどのNBA選手がラップを披露したコンピ『B-Ball’s Best Kept Secret』(94年)にも収録されている。

マスター・Pと息子のリル・ロメオ

『B-Ball’s Best Kept Secret』

シャックはまた、自身のT.W.IsM.からR&Bガールズ・トリオのS.H.E.を送り出したが、NBA選手やその関係者が主宰した音楽レーベル/プロダクションは他にもあり、マジック・ジョンソンはMCA傘下にマジック・ジョンソン・ミュージックを設立してR&Bシンガーのアヴァントなどを輩出。

NBAの人気選手による音楽界への進出は続いていく

ニューヨーク・ニックスのファンであるスパイク・リー監督

80年代後半から90年代にかけて、ニックスの熱烈なファンであるスパイク・リー監督の作品に代表されるブラック・ムービーも、NBAとブラック・カルチャーの結びつきを強固にした。バスケと音楽がクロスした映画は多数あったが、NBA絡みでは、マイケル・ジョーダンとルーニー・チューンズが共演した映画『Space Jam』(96年)、リック・フォックスらNBAスターがカメオ出演(※1)したウーピー・ゴールドバーグ主演の『Eddie』(96年)などが有名だろう。ミルウォーキー・バックス時代のレイ・アレンと名優デンゼル・ワシントンの名演が光る、スパイク・リー監督の『He Got Game』(98年)も、Bose氏いわく「黒人選手や黒人社会の光と影を描いていた」名作だ。

『Space Jam』

『He Got Game』

そうした映画のサウンドトラックにラッパーやR&Bシンガーたちが参加するのがブームとなり、それに刺激されたかのように、90年代後半以降もNBAの人気選手による音楽界への進出は続いていく。レイカーズでシャックの相棒だった故コービー・ブライアントもラッパーとして、ブライアン・マックナイト「Hold Me」(98年)、デスティニーズ・チャイルド「Say My Name」(99年)の各リミックス・バージョンにて不敵なラップを披露。コロンビアと契約した彼は自身のソロ作にも取り掛かり、モデルのタイラ・バンクスを招いたシングル「K.O.B.E.」(カップリング曲「Thug Poet」ではナズや50セントらが客演)を発表するが、アルバム『Visions』はお蔵入りとなっている。

「K.O.B.E.」

また、クルー・シックというラップ・グループを組んでいたこともあるアレン・アイバーソンは、フィラデルフィア・76ers時代の2000年、ジュウェルズという名義でユニバーサルから「40 Bars」でソロ・デビュー。ただ、問題児と言われた当時の彼らしく、リリックに差別的な内容を含んだことも影響してか、アルバム『Non Fiction』はお蔵入りに。そのアイバーソンとともに、NBAエンターテインメントが製作に携わったリル・バウ・ワウ(後にバウ・ワウと改名)主演映画『Like Mike』(2002年)に※カメオ出演していたクリス・ウェバーもラッパーとして活動。サクラメント・キングス時代に、自身のレーベルであるヒューミリティからC.ウェブ名義でアルバム『2 Much Drama』(99年)を発表している。コラプトを招いた「Gangsta,Gangsta(How U Do)」も上々の出来だったクリスは、後にナズのプロデュースも手掛けるほどの本格派だった。

『Like Mike』

『2 Much Drama』

黒人少年たちの夢はバスケかラップ

90年代にはNBA絡みのコンピレーションもいくつか登場した。秀逸だったのは、96年にNBA50周年企画として出された『NBA At 50~A Musical Celebration』。83年のオールスターゲームでマーヴィン・ゲイが歌った合衆国国歌を筆頭に、バスケにちなんだ新旧のR&Bやヒップホップ曲が並ぶ編集盤で、とりわけジャム&ルイスがアース・ウィンド&ファイア「September」を引用して手掛けたクリスタル・ウォーターズの「Say...If You Feel Alright」は、コートでのプレイをイメージした躍動感のあるダンス・チューンで、出色の出来だった。クリスタルは翌年、映画『Double Team』のサントラで主演のデニス・ロッドマン(当時シカゴ・ブルズに在籍)を迎えた「Just A Freak」というハウス・チューンも出していた。

『NBA At 50~A Musical Celebration』

「Say...If You Feel Alright」

「Just A Freak」

92年公開のバスケ映画『White Men Can’t Jump』のタイトルが伝えていたように、当時は、“白人は(マイケル・ジョーダンなどのNBA選手のように)跳べない”、つまり“黒人にしかできない”という認識が主流だった。こうしたステレオタイプな認識はともすれば人種差別を助長してしまうが、多くの白人ができなくて多くの黒人ができることの象徴、それがバスケと並んでストリートのゲームを代表するラップで、ボールを操るか、マイクを握るかの選択が黒人少年たちの夢になっていく。そのサウンドトラックとして機能したのが先に羅列したような音楽であり、映画も含めたブラック・カルチャーは、黒人にとっては身近な憧れとして、単純にスポーツとしてNBAを観戦していた白人には自分たちにはない憧れとして人々の間に浸透していった。90年代のNBAは黒人の音楽や文化を発展させながら、結果的に人種の壁をもぶち破っていったのだ。

『White Men Can’t Jump』

※1 監督や主演俳優/女優の友人や、原作者、作品のモデルや由縁の深い人物などが端役で出演すること。主にハリウッドで使われる用語。

ライター 林 剛 / TSUYOSHI HAYASHI R&B/ソウルをメインとする音楽ジャーナリスト。新譜や旧譜のライナーノーツをはじめ、雑誌やウェブメディアに寄稿。書籍の監修/執筆も多数で、2010年代には、ディアンジェロを軸とした『新R&B入門』、マイケル・ジャクソンを軸とした『新R&B教室』、2010年代のシーンを総括した『新R&B教本』などを刊行。ライブにも積極的に足を運んでいる。

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インタビュイー Bose(スチャダラパー) スチャダラパーのMC担当。1990年にアルバム「スチャダラ大作戦」でデビュー。以来ヒップホップ最前線でフレッシュな名曲を日夜作り続けている。個人活動としては、テレビ・ラジオ・CM出演、ナレーション、執筆、ゲーマーなど、幅広いジャンルで活動中。出身である岡山県の「おかやま晴れの国大使」に就任中。京都精華大学で客員教授を努めている。NBA・Rakutenの番組「俺達のNBA!!」ではMCとして出演中。

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