ジャズの初代ヘッドコーチが87歳で逝去

utahjazz.comのアーロン・フォーク記者が、ユタ・ジャズの初代ヘッドコーチのトーマス・エドワード・”トム”・ニッソーク氏が87歳で逝去したと報じた。ニッソーク氏は、ユタにおけるバスケットボールの伝統を築いた人物だ。 ジャズのオーナーのゲイル・ミラー氏は「ジャズとミラー・ファミリーは、かつてチームのヘッドコーチを務めたトム・ニッソーク氏の訃報を聞いて心を痛めています。彼は、1979年にニューオリンズからソルトレイクシティに移転したジャズの初代ヘッドコーチとして、球団が新たな土地で基盤を作るために尽力しました。ジャズのコーチとして我々のコミュニティーにNBAの存在を教えてくれた彼の偉業に感謝しています。我々の心は、ニッソーク氏の子供たちや孫たち、そして友人たちと共にあります」という声明を発表している。 1932年7月7日にウィスコンシン州マディソンで生まれたニッソーク氏は、高校や大学でコーチの経験を積んだ後、1968年にミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチとしてプロ・コーチのキャリアをスタートした。彼はABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)のダラス・チャパラルズのヘッドコーチとして1972年の最優秀監督賞を受賞し、それから5年後にはNBAのヒューストン・ロケッツのヘッドコーチとして最優秀監督賞を受賞している。 ニッソーク氏は、1974年から1976年の2シーズンの間、ABAのユタ・スターズのヘッドコーチを務めた。この時の経験が買われ、彼はユタ・ジャズの初代ヘッドコーチに抜擢されることとなる。ジャズは、オーナーのサム・バッティストーン氏とラリー・ハットフィールド氏の尽力によって、1979年にニューオリンズからソルトレイクシティに移転された。 しかし、移転当初のジャズにはタレントが不足しており、ニッソーク氏はかなりの苦労を強いられた。ジャズのヘッドコーチ時代、彼の成績は60勝124敗だった。 ニッソーク氏は当時のジャズについて「我々が1試合でも勝てば、それはもう大きなニュースになったよ」と語っていた。 しかし、彼はユタのファンの熱心さは高く評価していた。 「我々のファンは、とても熱烈だったよ」 ニッソーク氏は1981年に解雇されたが、彼はその後もジャズと良好な関係を続けた。彼は2年間クリーブランド・キャバリアーズのヘッドコーチを務め、デンバー・ナゲッツのアシスタントコーチとしてコーチのキャリアを終えた。 コーチ業を引退した後、彼はユタに戻ってジャズの試合のラジオ実況解説者になった。 ユタでの暮らしについて、ニッソーク氏は2018年の秋に以下のように語っている。 「私はここにいるのが好きなんだ」

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