2008年8月22日、ボストン・セルティックスがダリアス・マイルズと契約した。 2000年のドラフト1巡目3位でロサンゼルス・クリッパーズから指名されたマイルズは、高卒ルーキーながらオールルーキー・ファーストチームに選出された。その後クリーブランド・キャバリアーズを経て入団したポートランド・トレイルブレイザーズでは2005年にキャリアハイとなる47得点を挙げるなど、将来を嘱望されていた。 しかし、2005-06シーズンの途中で膝を故障すると、翌2006-07シーズンと2007-08シーズンの2シーズンに渡り全休。ブレイザーズ側、マイルズ側の双方合意の上で引退することになった。このときキャリアを終える大怪我による引退の特例で、マイルズの給与はブレイザーズのサラリーキャップに計上されないこと、また残りの1,800万ドルは保険会社が支払うことが決まった。 ところが、引退を決めたはずのマイルズはその4ヶ月後に冒頭の通りセルティックスと契約する。セルティックスとはシーズン前に解雇となったが、その後メンフィス・グリズリーズがマイルズと契約。結局、2008-09シーズン、34試合をグリズリーズでプレーしたあと、マイルズは正式に引退した。 ここで問題となったのは、キャリアを終える大怪我で引退したはずのマイルズが復帰したため、ブレイザーズが得ていた特例が反故になったことである。ブレイザーズはマイルズの給与分を除外してチーム作りを進めていたが、急遽マイルズの給与がキャップに計上され、ラグジュアリータックスの支払いが発生、さらに保険会社が支払うはずだったマイルズの給与の支払いを余儀なくされた。 このときブレイザーズのオーナーが、マイルズと契約したら訴訟すると他球団の全オーナーにメールを送るという事件も起こったが、NBAが他球団とマイルズとの契約を認める声明を発表。ブレイザーズにとっては思いもよらない事故のような出費となってしまった。 ダブドリ編集長:大柴壮平