1992年8月18日、ボストン・セルティックスのフォワード、ラリー・バードが引退を発表した。 バードと言えば、3度のMVP受賞、2度のファイナルMVP受賞、9回のオールNBAファーストチーム入り、12回のオールスターゲーム入りを果たした名選手である。80年代にセルティックスを3度優勝に導いている。 輝かしいキャリアを送ったバードだが、彼の魅力をより一層引き出したのはマジック・ジョンソンとのライバル関係である。バードとマジックのライバル関係は大学時代に遡る。バードは4年生の時、当時無名だったインディアナ州立大学をNCAAトーナメントのファイナルまで導いた。そのファイナルの相手がマジック・ジョンソン率いるミシガン州立大学だった。NCAAトーナメント史上最高視聴率を記録したこの試合は、75対64でミシガン州立大学が勝利した。 NBAでは、バードが東の名門セルティックスに、マジックが西の名門ロサンゼルス・レイカーズにドラフトされた。二人とも期待通りの活躍でチームを引っ張ると、三度ファイナルで対決。対戦成績はレイカーズの2勝1敗だった。 そんな二人は、デビューも同じ1979年だったが、引退も同じ1992年になった。バードはキャリア晩年をずっと背中の痛みを抑えて過ごしていた。一方のマジックは、1991-92シーズン開幕直前にHIV感染を知った。当時はまだHIVへの理解が低く、マジックとプレーすることで感染するのではないかとマジックの競技復帰を恐れるプレーヤーがいたためマジックはプレーを断念。二人はバルセロナオリンピックを最後に引退した(のちにマジックは1シーズンのみ復帰している)。 80年代のNBA人気に大きく貢献したバードとマジックだったが、そのバトンはバルセロナオリンピックを境にマイケル・ジョーダンに受け渡されたのであった。