1997-98シーズンのシカゴ・ブルズに密着して撮影したドキュメンタリー10部作『ザ・ラストダンス』の放映が始まり、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンを中心とした当時の3連覇達成メンバーに再び注目が集まっている。1995年にブルズに加入したロッドマンは、ジョーダンが引退していた時期に関して振り返った。 ブルズは1990-91シーズンに“ヒール軍団”デトロイト・ピストンズの壁を乗り越えて球団史上初のファイナル進出。マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを倒して初優勝を果たした。その後、1991-92シーズンにポートランド・トレイルブレイザーズ、1992-93シーズンにフェニックス・サンズを破り、史上3チーム目の3連覇を成し遂げた。 1993年7月にジョーダンが電撃引退。絶対的な大黒柱を失ったなか、“第2の男”だったピッペンがエースとなり、1995年3月にジョーダンが最初の復帰をするまでのブルズを支えた。MLB挑戦で錆びついていたジョーダンの体に本来のキレが戻った1995-96シーズンから2度目の3連覇を果たすわけだが、スーパースターのピッペンは1991年に7年総額1800万ドル(現在のレートで約19億4000万円)という格安の内容で契約を結んでいた。 契約最終年だった1997-98シーズンは、ピッペンが足首の故障で出遅れて序盤戦で苦戦。当時のジェリー・クラウスGM(ゼネラルマネージャー)に公にトレードを要求した過去もあり、ブルズ内に緊張感が走る時期もあった。ピストンズ時代にピッペンと因縁のあったロッドマンは、『ESPN』の番組『First Take』でかつての同僚を称賛している。 「俺はスコッティと(ブルズの)経営陣がどれほど張り詰めた関係にあったかは知らない。でも、スコッティが正当な評価を受けていなかったというだけだろう。スコッティ・ピッペンについて分かっていることがあるとすれば、マイケル・ジョーダンがNBAを離れていた1993、94、95年は世界で最高のプレイヤーだったということだ。人々はそれをちゃんと理解していない。彼はすべてのカテゴリーでチームを牽引していた」 ピッペンは1993-94シーズンにリーグ8位の平均22.0得点、8.7リバウンド、5.6アシスト、2.93スティールを記録。ジョーダンが終盤戦で復帰した翌94-95シーズンも同12位の平均21.4得点、8.1リバウンド、5.2アシストに加え、スティール王(2.94本)にも輝くなど、名実ともにリーグを代表する選手だった。ただ、ピッペンはそれに見合うだけの評価を受けていなかったとロッドマンは主張する。 「スコッティはデトロイト・ピストンズを破った1991年に経験を積んだ。彼が成長したことが3連覇を果たすきっかけとなった。マイケルがコートを去ったとき、スコッティが引き継いだ。彼は世界で最高の選手だったんだ。人々はそれを分かっていないよ」 かつての宿敵で、また1996~98年に3連覇の喜びを分かち合った戦友でもあるロッドマンの“ピッペン評”はすこぶる高かった。