【WINDY CITY BLUES】時代を経て進化を遂げるスーパースターたちのNBAにかける想い - 90年代

超人的な身体能力でNBAの常識を覆したマイケル・ジョーダン。そのすべての物語は伝説となって語り継がれることとなる。


1990年代、NBAを世界に知らしめたのがマイケル・ジョーダンが所属していたシカゴ・ブルズだ。 1991~93年、96~98年と2度の3連覇を達成し、世界中でジョーダンブームが巻き起こった。「地球上最も最高のショウ」と映画監督のスパイク・リーは絶賛し、「誰もが“ジョーダンが絶対に勝つ”と思って試合を見ていた」とラッパーのLL・クールJは言った。褒め称える言葉を並べればきりがないほど、誰もがジョーダンを、そのすべてを好きだった時代だ。

80年代終盤から長くジョーダンを取材してきたライターの宮地陽子氏は「最も印象的だった試合は、1997年のNBAファイナル第5戦。食中毒のなかフラフラになりながらもチームを勝利に導いた一戦」と振り返る。宮地氏の言葉を勝手に解釈するならば、ジョーダンはどんな逆境でも試合に勝ち続けるという力を持った男。勝利という結果において、ジョーダンは絶対に誰も裏切らないのだ。 「2度目のスリーピートの時など、もうジョーダンは跳べないとか、引退前より守るのが楽になったとか、当時はニック・アンダーソンやゲイリー・ペイトン、ジョン・スタークスは言っていたものだが、結局は誰もジョーダンに勝つことはできなかった」とNBAジャーナリストのスクープ・ジャクソンは言う。数々の偉業を積み重ねてきたジョーダンがブルズにいるだけで、チームの実力は2倍にも3倍にも見えるというレトリックを生み出していたのもジョーダンだからこそ成せる業だった。 今更、ジョーダンの代名詞であるスラムダンクやフェイダウェイの素晴らしさは語るまでもないだろう。スキルを超越した存在そのものが別格だったのだ。「一流であるために自分が努力するのはもちろん、周りにも一流を求めるのがジョーダンだった。それはメディアに対しても同じ。取材の時はジョーダンとの“試合”に臨むような意識だった。メディアの質問に耳を傾け、深いところまで話してくれる。私が思った以上の答えが必ず返ってきて、考え方も一流だと思った」と宮地氏は言う。 宮地氏の言うようにコートでのプレイが一流だった選手は他にもいたが、オフコートでの立ち居振る舞いも一流だった選手は稀有で、ジョーダンがその一人だったことは言うまでもない。

ユタ・ジャズと対峙した1998年のNBAファイナル。第6戦の最終盤でジョーダンが6度目の優勝を決めたショットは「ラスト・ショット」と呼ばれ、伝説のシーンとなった。この場面をグラント・ヒルと観客席から見ていたのだが、ジョーダンはコートを見渡せるポジションでドリブルをしながら、残り時間が減るのを待っていた。 ブライオン・ラッセルがスティールを狙いに行くとジョーダンは右にドライブを仕掛け、同時に身体をブライオンに当てて少しだけ押し退け、クイックにボールをクロスオーバーさせた。この時ヒルは「あ、ボールをファンブルした」と口にした。確かにボールはジョーダンの手にしっくりと収まっていなかった。 しかし、ジョーダンはゆっくりとボールを掴み直すと、本当にスローモーションかと思うように、慎重にシュートを放った。ボールはリングに吸い込まれ、その5.2秒後には喜びを爆発させていた。この場面をジョーダンは次のように振り返る。「その前のプレイでカール・マローンからボールをスティールした瞬間、“この試合は取った”と直感的に思った。その思いに自分を疑う余地などなかった」

そんなジョーダンの姿に熱狂したファンの中には、後にNBA選手となった少年たちも大勢いたのは想像に難くない。幼少期をイタリアで過ごし、ジョーダンの活躍を見ていたたコービー・ブライアントは、高卒でNBAのドラフトにエントリーしたのは当時引退を間近に控えていたジョーダンと対決するため、というのが理由のひとつだったと語っている。実際にマッチアップした際には、試合中にもかかわらずジョーダンにアドバイスを請うたのは有名な話だ。 母子家庭で貧しい生活を強いられていた幼き頃のレブロン・ジェームズは、"I wanna be, I wanna be like Mike"と、当時流れていたCMソングを口ずさみながら友人らと地元アクロンの道を闊歩した。ジョーダンのようになりたいと憧れ続けた少年はやがてジョーダンと同じNBA選手となり、昨年3月には通算得点記録でそのジョーダンを追い抜いた。 時は流れ、コービーもレブロンも記録の上ではジョーダンを超えた。今後も“神”と称された男を飛び越えていく選手は現れるだろう。それでも、あのラストショットから20年以上が経った今でもなお、ジョーダンの存在感は決して衰えていないように思う。ジョーダンの系譜を継ぐ者たちが活躍すればするほど、その起源であるジョーダンの偉大さが際立つのだ。 今年のNBAオールスターはジョーダンが愛した街、シカゴ。コービーやレブロンに憧れていたという若い選手たちの躍進に期待しつつ、彼らのルーツとなっているジョーダンの凄さを、改めて感じているのである。

ライター 北舘洋一郎 / YOICHIRO KITADATE 大学時代よりファッションエディター、スポーツライターとして『Number』『Boon』『DUNKSHOOT』などで執筆、編集活動をする。1996-99年、アメリカ、シカゴに渡りマイケル・ジョーダンを密着取材する。2012年には米『Complex」でスニーカー界に影響を与えた世界の50人に選ばれる。帰国後はNHKなどでNBAテレビ解説、『ABOVE』『FLY』などに執筆。

インタビュイー 宮地陽子 / YOKO MIYAJI ロサンゼルス近郊在住のスポーツライター。『Number』、『NBA JAPAN』、『DUNK SHOOT』、『AKATSUKI FIVE plus+』など、日本の各メディアにNBAやバスケットボールの記事を寄稿している。NBAオールスターやアウォードのメディア投票に参加実績も。

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