FIBA(国際バスケットボール連盟)の事務総長でIOC(国際オリンピック委員会)の委員も務めていたパトリック・バウマン氏の突然の訃報に、バスケットボール界全体が悲しみに暮れている。バウマン氏は、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催中のユース・オリンピック・ゲームズの最中に心臓発作で倒れた。 2002年からFIBAの事務総長を務めていたバウマン氏は、まだ51歳という若さだった。 アダム・シルバーNBAコミッショナーは、バウマンが急逝したとの一方を受け、以下のような声明を発表した。 「パトリック・バウマン氏の訃報に深い悲しみを感じています。私達は、中国の西安で開催された第1回FIBA世界バスケットボール・サミットでつい最近会ったばかりです。彼は、そのサミットに世界中のバスケットボール関係者を集めることに尽力しました。パトリックほどバスケットボールの発展に全てを捧げた人はいませんでした。彼はバスケットボールを愛し、バスケットボールが人々の生き方を変えられると信じていました。20年以上に渡って、私は彼と一緒に様々な試合やイベントに参加しました。彼は私の友であり同僚でした。NBAファミリーはパトリックを失ったことを心から悲しみ、彼の妻のパトリシア、そして彼の子供のビアンカとポール、そしてバスケットボール界とオリンピックに関係する彼の友人達に、心から哀悼の意を表します。」 バウマン氏は、1994年からFIBAに加わり、2007年からIOCのメンバーにもなった。IOCのトーマス・バック会長は、バウマン氏を讃えるため、今後3日間はIOC本部とユース・オリンピック・ゲームズの会場で五輪旗を半旗にするよう指示したそうだ。 FIBAの会長のオラシオ・ムラトーレ氏は、以下のような声明を発表している。 「パトリックはFIBAの事務総長だけでなくIOCの委員も務めていた。彼は私の非常に親しい親友であり、バスケットボール界だけでなくスポーツ界全体に数え切れないほどの友人を持っていた。彼のリーダーシップの下、FIBAは現代的な組織へと大躍進を遂げ、世界中の協会から目標とされるような組織へと成長した。パトリックが先頭に立ち、FIBAは統治構造を大きく変化させ、ジュネーブに新たに建設した立派な本部に移転し、オリンピックの新競技にもなった3X3を立ち上げてきた。また、彼は『ONE FIBA』というコンセプトのもと、各地域に点在するFIBAのオフィスを1つのグループにまとめ上げ、全員が一丸となってバスケットボールという愛すべきスポーツに関心を向けられるような仕組みを作った。また、彼が中心となってFIBAの新たな競技形式が考案され、実施に至ったことも忘れてはならない。以上のような事例だけでなく、FIBAはあらゆる面でパトリックの世話になってきた。彼の功績が無ければ、我々は間違いなく現在のような組織になることができなかった。揺るぎない献身と熱心な仕事ぶり、そしてバスケットボールにかたむけた純粋なる情熱により、彼はFIBAの歴史に永遠に刻まれる存在となった。」