2020年のNBAファイナルを戦い終えて、敗れたヒートのエリック・スポールストラHCはリモート会見の場で涙を流した。大一番に敗れた悔しさと、ここまで辿り着いたことへの手応え。そして、“バブル(隔離空間)”という普通では考えられない場所での仕事を終えた安堵感。それらのすべてが混ざり合った涙だったのだろう。 「望んでいた結果は得られなかったが、人生を通じて忘れられない思い出が得られた。今後、何があろうと、今季の経験とロッカールームの友情を決して忘れない」 そう語った指揮官の表情には、誇りも滲んでいるように思えた。優勝こそ手にできなかったものの、フロリダ州オーランドでNBAの2019-20シーズンが再開して以降、ヒートがやり遂げてきたことの素晴らしさを否定するファンはいないはずだ。 イースタン・カンファレンスの第5シードながら、第4シードのペイサーズ、第1シードのバックス、第3シードのセルティックスを次々と撃破。ファイナルでも第1戦でゴラン・ドラギッチ、バム・アデバヨがどちらも負傷するという不運に見舞われながら、飽くなき闘志で2勝を挙げてシリーズを盛り上げた。 「ヒートの頑張りには脱帽するしかない」 10月11日の第6戦ではスタミナ切れを起こして惨敗したものの、『ESPN』のポッドキャストでブライアン・ウィンドホースト、ザック・ロウという2人の著名記者が残した言葉は、すべてのファンの心を代弁していたはずだ。
こうして“バブル”に旋風を起こした勝ち上がりの過程で、パット・ライリー球団社長、スポールストラHCによって打ち立てられたハードワークの“ヒート・カルチャー”が話題となった。今プレイオフ中にほとんどキーワードのようになった“ヒート・カルチャー”とは、いったい何なのか。第5戦の前日、ヒートが2006年に初優勝を飾った際のメンバーだったレジェンド、ゲイリー・ペイトンが『プレイヤーズ・トリビューン』に寄稿した記事でこんな風に記していた。 「“ヒート・カルチャー”は、勝つことだけではなく、どう勝つかに示されている。必要ならば、這いつくばってでもフィニッシュラインに駆け込む。タンク内のエナジーをすべてを出し尽くす。チームメイトから、ゲームから、より多くを引き出そうとするんだ」 実際にヒートの練習は厳しいことで知られ、選手たちはマウスピースや膝当ての着用が義務付けられるほど。そんなチームに集まった選手を、スポールストラHCは「意欲に満ち、情熱、闘争心を持ち、向上心のある者たち」と表現する。
ライリーの指揮下で、こうしたカラーに適応したチーム作り、選手補強がなされているのだろう。2012、13年に連覇を果たした際のヒートはレブロン、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュというビッグ3が中心のチームだったが、今季のチームでどちらかといえば“雑草軍団”と呼んでもおかしくない構成だった。 シーズン中に加入したアンドレ・イグダーラこそ2004年のドラフト1巡目9位でNBA入りしたが、それ以外に入団時から高評価だった選手は少ない。ケンドリック・ナン、ダンカン・ロビンソン、デリック・ジョーンズJr.はドラフト外。タイラー・ヒーロー(13位)、バム・アデバヨ(14位)、ケリー・オリニク(13位)はロッタリー指名ではあるが、10位以内ではない。ジミー・バトラーは30位、ジェイ・クラウダーは34位、ドラギッチは2巡目の45位であり、すべてNBA入り後に当初の予想以上に伸びた選手たちである。 必ずしもエリートではなくとも、いや、エリートではないからこそ、彼らは“ヒート・カルチャー”の中で力を発揮していった。多くの選手たちがチームのフィロソフィーを信じることで、相乗効果のように力が引き出されていったのだ。
もちろん、努力と姿勢の正しさである程度まで勝ち進めるかもしれないが、NBAで頂点に近づくにはスーパースターの力が不可欠だ。チームカラーに合ったスターを見つけることこそが、上位進出の近道。そういった意味で、自他ともに妥協を許さない姿勢で知られるバトラーは、ヒートにとって最高の人材だった。 「ヒートの“カルチャー”と呼ばれるものを、ジミーはずっと求めてきた。僕とジミーは互いに責任感があったから、ブルズでもウマがあった。ミスしたとか、決めたとか、そういうことではなく、このゲームを大事に思っているかどうかが重要。今、彼はマイアミでそれを手にした。ヒートは同じ特徴の選手をリクルートし、獲得するから、そういう姿勢が受け継がれているんだ」(『マイアミ・ヘラルド』の記事より) ライリーにバトラー獲得を勧めたとされるウェイドのそんな言葉は、今季のヒートの成功の背景をわかりやすく物語っていると言えるのかもしれない。
ヒートは1988年に創設された比較的新しいチームだが、すでに6度のファイナル進出を果たし、優勝回数は歴代6位タイの3度。2010年代前半の黄金期はレブロンの存在によるところが大きかったが、過去12シーズンというスパンで見てもプレイオフを逃したのは3シーズンだけと安定した強さを誇っている。 何より、チーム内に確立されたカルチャーがその強さの源泉となっているのは間違いないのだろう。 「僕たちは正しい方向に向かっている。この敗戦からも学び、向上する。そして、またここに戻ってくるよ」 第6戦でレイカーズに敗れた後、バトラーはそう語って再び前を向いていた。群雄割拠のNBAにおいて再びファイナルまで辿りつくのは容易なことではないが、基盤のしっかりしたヒートが大崩れするとは確かに考え難い。鋼のような“ヒート・カルチャー”はマイアミで生き続ける。そのシステムを体現するライリー、スポールストラHC、バトラーが健在な限り、ヒートは来年以降もしばらくはイースタンを代表する強豪であり続けるはずだ。
杉浦大介:ニューヨーク在住のフリーライター。NBA、MLB、ボクシングなどアメリカのスポーツの取材・執筆を行なっている。『DUNK SHOOT』、『SLUGGER』など各種専門誌や『NBA JAPAN』、『日本経済新聞・電子版』といったウェブメディアなどに寄稿している。