カーメロ・アンソニーがこれほど長く現役を続けるとは、正直思わなかった。今シーズンのNBAはビンス・カーターの現役22シーズンという新記録達成に沸いたが、その陰でカーメロも地味に17シーズン目に突入し、やるやらない、できるできないは別にして、もう5シーズン踏ん張れば、超人カーターに並ぶことになる。 なぜそう思わなかったかというと、彼はあらゆることに関してさほどこだわりを持たない人物のように見えるからだ。何かのきっかけ次第で、比較的あっさりと現役を退くタイプのような印象を持っていた。そのこだわりのなさが、彼の短所であり、長所でもあり、ひいては魅力でもある。だからだろうか、僕にとってちょっと読めない選手であると同時に、謎めいた人物だった。 2010-11シーズンの途中から16-17シーズンまで、カーメロはニックスに在籍した。どのチームでもそうだろうが、とりわけニックスファンはハードワーカー、ブルーワーカーをこよなく愛する。もはや伝統と言ってもいいだろう。90年代のジョン・スタークスやチャールズ・オークレーがその典型だ。 ニューヨーク市ブルックリン生まれのカーメロもそのことを十分わかっているはずだが、それでも肝心なところでディフェンスの手を抜いたりする。そんな試合が何度も続くと、地元出身選手であってもマディソン・スクエアガーデンでブーイングを浴びたりするのだが、見た感じ本人はどこ吹く風である。そして、ある日突然ガッツあるディフェンスを見せ、喝采を浴びるという意外性も持っている。本当に読めない。
ことオフェンスに関しては、カーメロは天才だと思っている。特にシューティングの能力は恐ろしく高い。ポテンシャルだけなら、リーグでも5本の指に入るだろう。ただいかんせん、本人にこだわりや執着心が足りないのが玉に瑕だ。コービー・ブライアントの鬼のような練習へのこだわりや、マイケル・ジョーダンの狂人じみた勝負への執着心の数分の1でもカーメロにあったら、それこそレジェンド級の選手になっていたと思う。 でも、そのどこか淡々としたところが、いかにもカーメロらしく、なんとなく憎めない部分であったりするわけだが……。
2006年8月、日本でカーメロを撮影する機会を得た。バスケットボール世界選手権が東京で開催され、もちろんアメリカ代表チームも来日し、カーメロもメンバーの1人に選ばれていた。NBA専門誌の『DUNK SHOOT』誌から撮影依頼があり、インタビューページにカーメロのポートレイト写真を掲載したいとのことだった。 取材はアメリカ代表チームが宿泊先として利用していた、文京区にあるフォーシーズンズホテル椿山荘東京(現ホテル椿山荘東京)の広間で行われた。カーメロは当時からジョーダン・ブランドと契約しており、ナイキジャパンが契約選手の取材を取り仕切っていた。 NBA選手を日本で撮影するのは、このときが初めてだった。周りにはNBAの関係者とおぼしき外国人の姿もあったが、ほとんどが日本人で、スーツを着た関係者の姿が多く目についた。ナイキジャパンや広告代理店、その他多種多様な人が関与しているんだろうけど、ちょっ意外な多さだ。この連載の第2回で紹介させていただいた、同じく『DUNK SHOOT』誌でクリス・ウェバーを撮った時などは、僕とライターさんとウェバー、合わせて3人での取材である。
広間の片隅で撮影のセッティングを始めた。バックに用意してきた黒布を垂らし、ストロボを簡単に組み、露出を測って終了。カメラはいつもの中判カメラ(ペンタックス6×7)2台、それに21枚撮りのネガカラーフィルムをそれぞれ装填した。 大勢の人が言葉もなく神妙に待ち構えるという、日頃あまり味わうことのない緊張感が漂うなか、カーメロの登場を待った。実はこの日の撮影で覚えているのは、スーツを着た大人たちが醸し出す緊張感と、撮影中に僕がやらかしたミスのことだけで、あとのことはあまり覚えていない。『DUNK SHOOT』誌からはI編集長が立ち会いに来ていたのだが、先日本人に確認してみたところ、彼もまたこの日のことはほとんど覚えていないという。2人とも堅苦しい場の雰囲気に圧倒されたのだろうか。
カーメロが数人のスタッフとともに姿を現し、挨拶もそこそこに撮影に取り掛かった。黒バックの前に椅子を置き、そこに座ってもらい、「なんとなく自然に」ぐらいしか指示しなかったと記憶している。 このときカーメロはプロ3年目を終え、22歳になったばかり。当時大流行していたコーンロウでバッチリ決め、生意気そうな面構えがなかなか絵になる。フィルム1本、21枚を撮りきり、傍のテーブルの上に準備していたもう1台のカメラに、それまで使っていたカメラから外したレンズを嵌めようとした時だった。 「ゴトン!」テーブルに置いたカメラを、床に落としてしまうという大失態をやらかしてしまった。カメラを扱う仕事を30年以上やってきて、撮影中にカメラを落下させてしまったのはこのときだけである。撮影中、それも被写体の目の前でカメラを落とすなんて、やってはいけないミスの筆頭クラスだろう。お客さんの目前で調理している板前さんが、手を滑らせて包丁を落とすようなものだ。 さすがは超一流ホテル、床には厚いカーペットが敷かれており、大きな落下音もせず周りの人にあまりショックを与えることもなく、また肝心のカメラも後からチェックしたところ大丈夫だった。
この日の撮影で今でも鮮明に覚えている唯一の出来事は、カメラを落とした直後、すぐに拾わず、目の前のカーメロを見たことだ。なぜそうしたのか正確には覚えていないが、たぶん彼の反応を確認したかったような気がする。「あちゃー……」と顔をしかめてくれたり、「カメラ大丈夫?」と聞いてくれでもしたら、ミスを犯し動揺している自分が、ほんのわずかでも救われると思ったのだろう。 そのときカーメロは、無表情でじっと僕の目を見て、一言も発さず、眉ひとつ動かさなかった。「ったく何やってんだよ」なのか、「まあそんな時もあるさ」なのか、彼が何を思っていたのかは知る由もなかったが、上目遣いでまじろぎもせずに僕をまっすぐ見つめる表情は、今でも強く印象に残っている。 今この文章を書きながら思ったのだが、僕がカーメロに対して「読めない人物」であるという印象を持ったのは、もしかしたらこのときのリアクションがきっかけだったのかもしれない。
あれから14年。若々しかったカーメロも35歳、すっかり風格を帯び、現在はブレイザーズの一員として大一番を戦っている。8月16日に行なわれたグリズリーズとのプレイイン・ゲームズでは、試合残り21秒、3点リードの場面で勝利を決定づけるポイントを沈めるなど、要所で活躍している姿が印象的だった。 昔も今も、ここ一番で頼れるのはベテランの存在である。プレイオフでのカーメロのプレイにぜひとも注目したい。そして、今シーズンの活躍は、今後の彼のキャリアに思いのほか大きな影響を及ぼすのではないだろうか。
カーターは43歳までプレイしたが、カーメロはあと6年、41歳まで頑張れば、NBA歴代最長となる23シーズンを記録することになる。カーメロのプレイスタイルなら、やってやれないこともなさそうな気がするが、どんなもんだろう。 ライバルに、同期で親友のレブロンというバケモノがいるものの、カーメロなら記録とかそういった副次的な要素にこだわることなく飄々とプレイを続け、気付いたときにはレブロンを蹴散らしていそうだ。 写真オリジナル掲載:BASKETBALL DIGEST『DUNK SHOOT』/ 2006年11月号
大井成義:フォトグラファー兼ライター。1993年渡米、School of Visual Arts New York卒業。ポートレイトを中心にトラベルやスポーツ関連の写真を撮影する傍ら、国内外で個展を開催。ライターとしては、2000年代前半に『DUNK SHOOT』誌で「月刊ニックス」を連載、以来同誌にてコラムを執筆している。現在日本在住。