「やりたくなかった」というジョーダン。『ザ・ラストダンス』で描かれた97‐98シーズンのブルズとは【宮地陽子コラム vol.3】

「正直なところ、あまりに生々しいと思った」

今、多くのバスケファンが心待ちにしている日がある。アメリカ時間4月19日だ。1997-98シーズンのシカゴ・ブルズに密着して撮影したドキュメンタリー10部作、『ザ・ラストダンス』がついに放映されるのだ(注:日本ではNetflixで配信予定)。新型コロナウイルスの影響で世界中のスポーツ・イベントが延期や中止となり、各地で外出制限が続くなかで、当初の予定より2か月繰り上げられての公開となった。 このドキュメンタリーは、当時、ジョーダンとブルズの許可を得て撮影された。普通ならメディアが入れない場所にまでカメラが入って撮影し、全部で500時間にのぼる映像があるという。 しかし、これをドキュメンタリーとして完成させるまでには紆余曲折があった。元ESPNのビル・シモンズ(現The Ringer)によると、2009年にも一度、ESPNからジョーダンにドキュメンタリー作成の打診があったというが、最終的なゴーサインが下りずにとん挫。数年前になって、ようやくジョーダンの許可が下り、2年前から本格的な作成作業に入ったと伝えられている。 ジョーダン自身は、このドキュメンタリーについて去年秋にこんなことを言っていた。 「やりたくなかった。正直なところ、あまりに生々しいと思った。リーダーとして導くためのメンタリティを理解してもらうのは難しいと思った。今でもまだ少し心配なところがある。ただ、その一方で、みんながこれをどう解釈するのかには興味がある」(2019年10月NBCのトゥデイ・ショーの取材に答えて)

97-98シーズンのブルズ。左からデニス・ロッドマン、スコッティ・ピッペン、マイケル・ジョーダン、ロン・ハーパー、トニー・クーコッチ

チームメイトをトラッシュトークで叩き潰す

ジョーダンが『生々しい』と言ったのがどんなことなのか、ジョーダンのことをシューズのブランドとして知り、あるいはハイライト映像だけを見て育った世代には想像もつかないかもしれない。 当時のブルズを取材するなかで、ジョーダンが類まれなる負けず嫌いで、まわりに対しても常に高いレベルを求めるという話をよく聞いた。練習ではチームメイトに対しても辛辣なトラッシュトークで叩き潰しにいった。ジョーダンのチャレンジに応えられないような選手は、試合になったときに勝つために必要なプレイはできない。それがジョーダン流の考え方だった。 去年秋に出た『ラストダンス』のトレーラー映像でも、ジョーダンは、チームメイトに厳しく当たることについて、こう語っていた。 「その選手を壊すことになっても、気にしていなかった。それで壊れるぐらいなら、僕らが一番必要としているときに助けになる選手ではないからね」 逆に、そのチャレンジに応えてきた選手に対しては、敬意をもって認めるようにもなった。そうやって信頼できるチーム関係を築いていった。30年以上たち、ようやく、その過程を、オブラートに包まれて伝えられた話ではなく、実際の場面を映像として見ることができるのだ。

レブロンも「待ちきれない」とツイート

このドキュメンタリーで扱われる97-98シーズンのブルズはいったいどんなチームだったのだろうか。ブルズにとって2度目の3連覇最後のシーズンで、ヘッドコーチが名将フィル・ジャクソン、チームの中心がジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンだったということはよく知られていることだ。現ウォリアーズのヘッドコーチであるスティーブ・カーらが脇役として要所で貢献していたことを知っている人も多いだろう。優勝を決めた最後のジョーダンのシュートは名場面として有名だ。しかし、当時のチーム状況については知らなかったり、忘れている人も多いのではなないだろうか。そういった人のために、当時の記憶をいくつか記しておこうと思う。 まず、タイトルになっている『ザ・ラストダンス』という言葉。これは、シーズンを前にジャクソンHCがつけたシーズンのテーマだったと記憶している。絶頂期にあったチームのヘッドコーチが自ら『ラストダンス』と言い出したわけなのだから、普通ではなかった。 当時のブルズは、それだけ不安定な要素を抱えていた。まず、ジャクソンはシーズン前から、これがブルズのヘッドコーチとして最後のシーズンだと宣言していた。GMのジェリー・クラウスとの関係がよくなかったことが大きな要因だったが、それ以外にも、ジャクソン自身の身体的、そして精神的な疲労もあった。元々は、97年夏にブルズを離れることを考えていたのだが、共に戦ってきたジョーダンとピッペンが、もう1回このチームで優勝し、2度目の3連覇を達成したいと強く希望したことで、あと1年戻ることにしたのだった。

ジョーダンによる”ラストショット”で大団円を迎えた『ラストダンス』。そこに至るまで、どのような紆余曲折がチーム内であったのか非常に興味深い

ジャクソンの意思を知ったジョーダンは、ジャクソンがブルズのヘッドコーチを辞めるなら引退すると明言した。当時のジョーダンは身体的には衰えもなく、まだ現役を続けられる状態だったのだが、新しいチーム、新しいコーチのもとで継続する意思はなかった。多くのファンはジョーダンがシーズン中に気持ちを変えることを願っていたし、メディアからはシーズン中に何度も、「本当にこのシーズン限りで引退するのか」と聞かれていたが、ジョーダンの気持ちが揺らぐことはなかった。 つまり誰もが、これが最後のシーズンになるとわかっていながら戦ったシーズンだった。ジャクソンの『ラストダンス』という言葉には、最後のシーズンとわかっているからこそ、楽しんで過ごそうという気持ちが込められていた。 シーズン中には、ピッペンが開幕から故障で長期欠場し、その途中でトレード志願発言をし、デニス・ロッドマンが無断で練習を休んだりと、様々な出来事があった。そういった問題を、ブルズは、そしてジョーダンはどう解決し、優勝チームとしてまとまっていったのか。ジョーダンは引退を前に、どうやって心の平穏を保ったのか──。 『ラストダンス』楽しみにしているのは、ファンだけではない。レブロン・ジェームズは、ドキュメンタリーの公開日が発表されるとすぐに「早く4月19日になってほしい。待ちきれない」とツイートしている。97-98シーズン当時レブロンは14~15歳で、ジョーダンの大ファンだった。その頃はコート上でのジョーダンのプレイに惹かれていただけだったかもしれないが、今はもっと別な視点で楽しみにしているのではないだろうか。長いシーズンを戦う苦労も、チャンピオンとして王座を守ることの難しさも知っているだけに、華やかな舞台の裏でジョーダンがどうやってチームを導いていたのか、何を考えていたのかも知りたいはずだ。ドキュメンタリーに触発されたレブロンが、その後どんなことを考え、どんな影響を受けるのかも興味深い。 90年代に一世を風靡したジョーダンは、レブロンをはじめとする現代のNBA選手たちにどんな影響を与えるのだろうか──。そういった意味でも、興味はつきない。


宮地陽子:ロサンゼルス近郊在住のスポーツライター。『Number』、『NBA JAPAN』、『DUNK SHOOT』、『AKATSUKI FIVE plus+』など、日本の各メディアにNBAやバスケットボールの記事を寄稿している。NBAオールスターやアウォードのメディア投票に参加実績も。

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