元NBA選手のコービー・ブライアントとシャキール・オニール(以下シャック)が、2000年代初頭にロサンゼルス・レイカーズで黄金期を築いたことは有名な話だ。シャックが2004年にマイアミ・ヒートへ移籍するまでの8シーズンで、2人はレイカーズを4度NBAファイナルまで導き、2000年から2002年にかけては3連覇も成し遂げていた。1998年オフのマイケル・ジョーダンの引退と共にシカゴ・ブルズの王朝が終焉を迎えた当時、この若きスーパースター2名によって新時代が切り開かれることとなった。 レイカーズで共に数々の輝かしい成績を残してきた傍ら、コービーとシャックの間には長年にわたって確執が生じていたことも、また有名な話である。レイカーズ時代の2人の確執については、メディアで多く報じられるのみならず、2人も様々な場で公式に認めている程である。 先日、コービーは保険会社PHP社主催のコンベンションで、同社のパトリック・ベットデイビッド社長との対談セッションに参加した。その際、ベットデイビッド氏に「シャックがコービーのように練習に取り組んでいたらどうなっていたと思うか」と問われると、以下の通り答えている。 「彼はNBA史上最強の選手になっていただろう。あの怠け者がもっと真面目に練習に励み、体調管理を行なっていたら、俺たちは12回NBAタイトルを制覇できたと思う」。 シャックとの関係悪化を気遣ってフォローを入れようとしたベットデイビッド氏に対し、コービーは「いつも面と向かって言っているから問題ない」ともコメントしている。シャックはコービーの発言を受けて、自身のインスタグラムに以下の通り反論した。 「もっと俺にパスを出していれば12回NBAタイトルを制覇できたかもな。ピストンズとのファイナルズでは特にね。あと努力なしには銅像にはなれないんだよ」。 シャックはコービーのコメントに応戦する形で、2004年のNBAファイナルでレイカーズがデトロイト・ピストンズに敗北した理由は、コービーがパスを回さなかったためだと指摘。さらに、レイカーズの本拠地であるステイプルズ・センターに自分の銅像が建てられていることを、コービーに再認識させた。 なお、その後コービーとシャックはそれぞれのSNSで、決してケンカをしている訳ではなく、互いに良好な関係を保っているとコメントしている。 スポヲタ:ビタラフ アドル