バスケットボール殿堂入りを果たしている元NBA選手のディケンベ・ムトンボが、脳腫瘍のため逝去した。享年58歳。NBAが9月30日に発表した。2年前、家族はムトンボがアトランタで脳腫瘍の治療を受けていたことを明らかにしていた。NBAの発表によると、彼は家族に囲まれて亡くなったという。 アダム・シルバー・コミッショナーは、「ディケンベ・ムトンボは、まさに人生よりも大きな存在だった。コート上ではNBA史上最高峰のショットブロッカーであり、ディフェンシブプレイヤーだった。コート外では、他人を助けることに心血を注いだ。ディケンベほど、NBA初のグローバル・アンバサダーにふさわしい人物はいない。彼は根っからの人道主義者だった。私はディケンベと一緒に世界中を旅する機会に恵まれ、彼の寛大さと思いやりがいかに人々を元気づけるか、直接目にすることができた。ディケンベは長年にわたってNBAのイベントで常に親しみやすく、その微笑み、深く響く声、特徴的な指振りで、あらゆる世代のバスケットボールファンに親しまれてきた」と声明を発表し、故人を称えた。 ムトンボは1991年のNBAドラフトでデンバー・ナゲッツから1巡目4位指名を受けてNBA入り。以降、アトランタ・ホークス、フィラデルフィア・76ers、ニュージャージー・ネッツ、ニューヨーク・ニックス、ヒューストン・ロケッツに在籍し、NBAで18シーズンにわたって活躍。2008-09シーズン終了後に現役を退いていた。キャリア平均では平均9.8点、10.3リバウンド、2.8ブロックを記録し、2015年にバスケットボールの殿堂入りを果たした。ナゲッツとホークスでは、着用していた背番号55が永久欠番となっている。 現役中は最優秀守備選手賞に4度輝き、オールNBAチームに3度、NBAオールスターに8度選出。総リバウンド数は1万2359で歴代20位、ブロック数は3289本でアキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか/3830本)に次ぐ歴代2位にランクインしている。 また、ナゲッツ在籍時の1994年には、プレイオフ1回戦でトップシードのシアトル・スーパーソニックスを撃破。第8シードによるアップセットは当時史上初の快挙で、リーグ史に残る名場面として知られる。 今回の悲報には多くの関係者が哀悼の意を表している。カメルーン出身のジョエル・エンビード(シクサーズ)は、「コートの中だけでなく、コートの外でも影響を与えたという点で、彼は僕が尊敬する選手の1人だ。彼は多くの人々のために素晴らしいことをたくさんしてくれた。悲しい日だ」とコメント。ミルウォーキー・バックスのヤニス・アデトクンボは、「彼はいつも話しかけてくれて、シーズンへの取り組み方や身体のケア、試合後のアイシングやストレッチ、ヨガなどいろいろなことを試してみるようアドバイスしてくれた」と、常に気にかけてくれていたことを明かしている。 さらにアトランタ市長は、「世界中の多くの人々と同様、アトランタ・ホークスの伝説であり、人道主義者でもあったディケンベ・ムトンボを失い、私の心は重い。先月、彼と妻のローズさんの自宅を訪問し、アトランタの人々、そして世界中の何百万もの人々が、このような本当に素晴らしい人物に抱いていた感謝と誇りを表現する機会に恵まれたことに感謝している。彼は単なる殿堂入り選手ではなく、かけがえのない存在だ」と、市の英雄を追悼した。