“ドリームチーム”の衝撃から3か月、2度目の「NBA Japan Games」【NBA Japan Games プレイバック】

“ドリームチーム”。1992年のバルセロナ・オリンピックにアメリカが送り込んだ12人のスター選手がこの大会の主役となった。現役のNBAプレイヤーが初めて代表入りしたアメリカは、全試合で30点以上の差をつける圧倒的な強さで金メダルを獲得。テレビに映る世界最高峰の選手たちが魅せる華やかなプレイが、世界中のバスケットボールファンに大きな夢を与えた。 そのわずか3か月後、彼らが戦う世界最高峰のリーグが再び日本にやってきた。「NBA Japan Games」2度目の開催である。 直前の1991-92シーズンには、開幕前にマジック・ジョンソンがHIV感染により突然の引退を発表すると、シーズン終了後にはマジックとともに長年リーグを引っ張ってきたラリー・バードも引退。時代を象徴する2人のスーパースターを同時に失ったNBAだったが、それでもマイケル・ジョーダンら新世代のスター選手たちが彼らの功績を引き継ぎ、リーグの盛り上がりは止まるどころか上昇していった。 1992-93シーズンには、シャキール・オニールやアロンゾ・モーニングがNBA入り。“ドリームチーム”のメンバーでもあるパトリック・ユーイングやデイビッド・ロビンソンらとともに、歴史に名を残すセンターが並び立つ時代に突入していく。

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“ドリーム”オラジュワンvs“レインマン”ケンプ

そんなシーズンの開幕戦を戦うため来日したのが、当時NBAで最も支配的といわれたセンター、ヒューストン・ロケッツのアキーム・オラジュワンだ。7フッター(213cm)とは思えない軽やかなフットワークは“ドリームシェイク”と称され、1984年の入団以降12シーズン連続で20得点10リバウンド以上を記録。NBA最多のキャリア通算ブロック数(3,830本)を誇る歴代屈指のセンターである。 一方、対戦相手となったシアトル・スーパーソニックスにも異次元のパワーとスピード、驚異的なジャンプ力でダンクを連発し、ゲームを支配する“レインマン”ことショーン・ケンプが在籍。のちにオールディフェンシブ1stチームに9度選出されるディフェンスのスペシャリスト、ゲイリー・ペイトンや、2度のシックスマン賞にも輝いたリッキー・ピアースらを、NBA通算1142勝の名将ジョージ・カールが率い、チームは黄金期の始まりを迎えていた。 1992年11月6日、会場は横浜アリーナ。14,000人を超える観客が“ドリーム”と“レインマン”の対決に注目した。 第1戦では、ケンプがダンクの雨を降らせ、29得点、20リバウンドを記録すると、オラジュワンも21得点、17リバウンド、5ブロックと、ともにモンスター級のプレイを披露。翌日の第2戦でもオラジュワンがケンプのシュートをブロックすると、今度はケンプがオラジュワンのダンクをブロック。意地と意地のぶつかり合いに観客は大興奮。のちにアメリカ代表にも選出される2人のスーパースターが“夢”のような時間を見せた見事な開幕シリーズであった。

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