老将は死なず【大柴壮平コラム vol.9】

守れないスパーズ

サンアントニオ・スパーズが不振に喘いでいる。1997-98シーズン以来、実に22シーズン連続でプレイオフに出場しているあのサンアントニオ・スパーズが、である。スパーズの成績は本稿執筆時点で6勝13敗。これは怪我人だらけのゴールデンステイト・ウォリアーズ、再建真っ只中のメンフィス・グリズリーズに次いでウェストでは下から3番目の成績である。 スパーズの成績が悪いと知り、私は次のような仮説を立てた。リーグ全体がスリーポイントと制限エリア内でのシュートを増やし、得点の効率性を追い求めている。そんな中、ミッドレンジのシュートを打ち続けているスパーズのオフェンスが、ついにリーグ水準を満たさなくなった、と。しかし、調べてみると、オフェンシブ・レーティングは110.3でリーグ8位と思いのほか健闘していた。昨シーズンが112.2でリーグ6位だったので落ちてはいるが、糾弾されるほどではないだろう。 むしろ、スパーズが苦戦している要因はディフェンスだった。ディフェンシブ・レーティングの113.4はリーグ26位。つまり、下から5番目である。スパーズは100ポゼッションで110.3得点し、113.4失点する。その差であるネット・レーティングの-3.1はリーグ21位なので、だいたい現在の順位を反映していると言えるだろう。より細かく見れば、対戦相手にスリーポイントを38.4%の高確率で決められていることがわかる。どのチームもスリーポイントを狙っている中でこれだけの確率を許しているということは、ディフェンスが崩されている証左だろう。

時代を先読みしていたポポビッチHC

グレッグ・ポポビッチHCが指揮するスパーズは、かつては屈強なディフェンスのチームとして知られていた。ポポビッチHCは1996年の12月に、ボブ・ヒル前HCの解任に伴ってヘッドコーチに就任した。まず着手したのは、当時リーグ最低だったスパーズのディフェンスを強化することだった。その効果はすぐに現れ、なんと翌1997-98シーズンには、スパーズのディフェンシブ・レーティングはリーグ2位に上がった。もちろん、このシーズンにティム・ダンカンがデビューしたことも大きな要因だが、チームをディフェンス志向にまとめ上げたポポビッチHCの手腕も賞賛すべきだろう。 ディフェンスを武器にしたスパーズは、1999年に初優勝を成し遂げた。強固なディフェンスを軸としつつ、オフェンスではダンカンとデビッド・ロビンソンのツインタワーがインサイドを支配した。このコンビは2003年にもう一度優勝したが、ロビンソンの引退によりツインタワーの時代は終焉。その後はオフェンスの主軸をダンカン、マヌ・ジノビリ、トニー・パーカーのトリオが担うようになる。ジノビリとパーカーという優れたプレイメイカーが主力となり、“地味で手堅い”というスパーズの印象が少し変わったが、それでもこのチームの軸はディフェンスだった。 2005年、2007年と優勝したスパーズは、その後しばらく頂点から遠ざかる。しかし、この勝てなかった期間にこそポポビッチHCの偉大さが見てとれる。その間、彼は密かにチームのオフェンス強化に乗り出していたのである。当時はマイク・ダントーニのラン・アンド・ガンがリーグに旋風を巻き起こしていた。プレイオフでダントーニ率いるサンズの前に立ちはだかるのは、いつもスパーズだった。スパーズがサンズに勝つ度に、「プレイオフではディフェンスが良くないと勝てない」などと我々ファンは知ったような口を利いた。しかし、当のポポビッチHCはこれからオフェンスの時代が来るのを察知していたのだから、慧眼である。

1997年にタッグを組んだダンカン(左)とロビンソン。このツインタワーがスパーズ王朝の礎を築いたと言える

「終わりの始まり」だったのか、それとも

スパーズのオフェンス改革は、2008-09シーズンにマット・ボナーをスターターに起用することから始まった。ストレッチ4のボナーがフロアを拡げることで、パーカーが躍動。キャリアハイの平均22.0得点を記録した。その後もポポビッチは試行錯誤を続け、2010-11シーズンにはオフェンシブ・レーティング2位、ディフェンシブ・レーティング11位という攻撃型のチームを完成させた。 数年に及ぶオンフェス強化が実を結んだのは、2013-14シーズンだった。リーグトップの62勝20敗という成績でプレイオフに臨むと、ダラス・マーベリックス、ポートランド・トレイルブレイザーズ、オクラホマシティ・サンダーを次々に撃破。ファイナルではディフェンディング・チャンピオンのマイアミ・ヒートを寄せ付けず、前年の雪辱を果たす形で7シーズンぶりの優勝を成し遂げた。 マイク・ダントーニの起こしたオフェンス革命は、その意志をスティーブ・カーが引き継いでウォリアーズで完成させた――。そんな語られ方をすることが多いが、私は2014年のスパーズを忘れていない。強い、弱い、上手い、下手といったベクトルではなく、セットオフェンスが美しいと感じたのは初めてだった。スパーズもNBAのオフェンスの進化に貢献したチームの一つだと、私は思っている。そのスパーズが今、かつて彼らを目指していた他のチームのオフェンスを守れずに苦しんでいるのだから、因果なものだ。

2014年の優勝に貢献するも、わずか4年後にトレードでチームを去ったカワイ・レナード。もし彼が残っていたら、チームには違った未来が待っていたかもしれない


2014年に最も美しかったオフェンスは、今や時代遅れになった。デマーレイ・キャロルの加入、デジャンテ・マレーの復帰で良くなるはずだったディフェンスは、昨シーズンより悪化している。ポポビッチHCも1月には71歳になる。ベッキー・ハモン、ティム・ダンカンといった優秀な後任も控えている。普通なら引退を考えてもおかしくない状況である。 しかし、これまでの彼の足跡を振り返ると、ポポビッチHCがこのまま大人しく退くとは、とても私には思えない。「スリーポイントは嫌いだ。スリーポイントがバスケをつまらなくする」と公言するその裏で、密かにまた時代に合わせたチームスタイルの変更を画策しているに違いない。そして近いうちに、あの「してやったり」と言わんばかりの笑顔を見せてくれるだろう。 これは私の願望である。22シーズンの偉業で、ポポビッチHCはサンアントニオのスターになった。同時に、私のように同じスモールマーケットのチーム(グリズリーズ)を応援する者にとっても、希望の星となった。老将は死なず、退きもしない。そして最後の勇姿を我々に見せてくれる。そう私は信じている。いや、信じたいのである。

大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。

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