『トライアングル・オフェンス』という革新的なオフェンス戦術をあみだし、フィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)の参謀としてシカゴ・ブルズとロサンゼルス・レイカーズで合計11回のNBAチャンピオンに輝いたテックス・ウィンター氏が96歳で亡くなった。 ウィンター氏の家族によると、彼は現地10月10日にカンザス州マンハッタンで息を引き取ったそうだ。1947年、彼はカンザス州立大でコーチとしてのキャリアをスタートさせ、同校のヘッドコーチを務めた1954年から68年までの間にNCAAのファイナル4に2回進出し、ビッグ7とビッグ8のタイトルを合計で8回獲得している。 ウィンター氏がブルズのアシスタントコーチをしていた当時にチームのエースを務めていたマイケル・ジョーダンが、Chicago Tribune宛にemailで以下のようなコメントを送ってきた。 「私はウィンター・コーチから多くの事を学んだ。彼は非常に熱心な戦術研究家であり、戦術のパイオニアだった。彼があみだしたトライアングル・オフェンスは、ブルズの6回の優勝に大きく貢献した。彼は休む間を惜しんで働くタイプだった。テックスはいつも細部にこだわり、準備を怠らない素晴らしい教師だった。私は彼の下でプレーできて光栄だった。彼のご家族に哀悼の意を表します。」 1962年に「トリプル・ポスト・オフェンス」という著書を出版したウィンター氏は、その本の中で紹介した戦術をジャクソンHCが率いるチームで実践した。当時、ブルズにはジョーダンが、そしてレイカーズにはコービー・ブライアントという強力なエースがいたため、トライアングル・オフェンスを実行に移すには打って付けだったのだ。ウィンター氏は、ジャクソンHCのアシスタントコーチとして、ブルズを6回(1991年、1992年、1993年、1996年、1997年、1998年)、レイカーズを3回(2000年、2001年、2002年)の優勝に導いた。また、彼はレイカーズのコンサルタントとして2009年と2010年の優勝にも貢献している。 選手時代にウィンター氏の下でプレーしたブルズのジョン・パクソン球団社長は、以下のようなコメントを発表している。 「テックス・ウィンターはバスケ界のレジェンドだ。おそらく彼以上に基礎の指導が上手いコーチはいないだろう。彼は、プレーのやり方や日々の取り組み方に関する高度な基準を持ったイノベーターだった。彼の下でプレーできた我々は非常に幸運だ。彼がブルズに及ぼした功績は、今後も語り継がれるだろう。」 2011年に殿堂入りをした頃には、ウィンター氏は生涯で60年以上もコーチ業に従事していた。 また、レイカーズのオーナーのジーニー・バス氏は、以下のような声明を発表している。 「レイカーズの球団全員が、テックス・ウィンター氏の死を悲しんでいます。テックスは、レイカーズのコーチや選手達の指導者として、チームに4度の優勝をもたらした。バスケットボールに関する貢献だけではなく、彼は1人の人間として非常に素晴らしい人物でした。ウィンター氏のご家族に哀悼の意を表します。」 ウィンター氏は、大学のヘッドコーチとして451勝336敗という通算成績を残している。彼がヘッドコーチを務めた大学は、マーケット大(1951年から1953年)、カンザス州立大(1953年から1968年)、ワシントン大(1969年から1972年)、ノースウェスタン大(1975年から1978年)、ロングビーチ州立大(1978年から1983年)の5校だ。また、彼はNBAのヒューストン・ロケッツでも1972年から1974年までヘッドコーチをしており、その間の成績は51勝78敗だった。 カンザス州立大のアスレチック・ディレクターのジーン・テイラー氏は、以下のようなコメントを発表している。 「今日は、カンザス州立大だけでなくバスケットボール界全体にとって悲しい日となりました。ウィンター氏はバスケットボールの試合を一変させた。彼が与えた影響は、今でもカンザス州立大のバスケットボールに引き継がれている。ウィンター氏のご遺族にお悔やみを申し上げます。」 ウィンター氏の遺族は、以下のような声明を発表している。 「一族の全員が、夫であり父であり祖父であるテックスの死を悲しんでいます。それと同時に、我々は彼の充実した一生を祝福しています。テックスの人生に関わった全ての人々に感謝しています。また、我々は、この悲しいニュースを知った多くの方々からの哀悼の意にも感謝しています。」