偉大な人物が登場すれば、その後継を求めるのが世の常である。それはNBAにおいても同様で、シカゴ・ブルズで2度のスリーピート(3連覇)を飾るなど、1990年代を支配していたマイケル・ジョーダンのあとを受け継ぐ可能性を秘めた “ネクスト・ジョーダン”探しは、21世紀が迫るにつれて加速していた。 ハロルド・マイナー(マイアミ・ヒートほか)、アンファニー“ペニー”ハーダウェイ(オーランド・マジックほか)、グラント・ヒル(デトロイト・ピストンズほか)、ジェリー・スタックハウス(デトロイト・ピストンズほか)などが候補に浮上するも、単純な実力不足や怪我など、様々な理由でジョーダンと肩を並べるものはなかなか現れなかった。しかし、1996年、ジョーダンが2度目の引退を宣言する2年前、ようやく正当な後継者となりうる器が登場する。コービー・ブライアントだ。
1996年のドラフト1巡目13位でシャーロット・ホーネッツに指名された直後、トレードでロサンゼルス・レイカーズに入団したコービー。ドラフト当時まだ生意気な17歳の青年だったコービーに対し、世間は懐疑的な目を向けていたが、荒削りながらカリスマ性抜群のプレイに人々はジョーダンの影を見た。 コービーが、ブルズ時代のジョーダンと直接対戦したのは計4度(オールスターを含めると5度)。1996-97シーズンに対戦した2試合では1年目だったコービーのプレイタイムが少なく、マッチアップする場面はほとんどなかったため、実質的に初対戦となったのは、翌シーズンに行われた1997年12月17日の試合だ。 試合ではジョーダンがゲーム最多の36得点を挙げたのに対し、ベンチの起爆剤として存在感を発揮し始めていた2年目のコービーも、ジョーダンの十八番であったフェイダウェイをその本人の上から決めるなど、一歩も引かずにチームハイの33得点を記録。結果的に試合はブルズが大差で勝利したが、「 “ネクスト・ジョーダン”はコービーである」と多くの人が確信したのである。 コービーのポテンシャルを目の当たりにしたジョーダンも「様々なスキルを持っていることは間違いない。自信もね。(彼がスターになるのは)時間の問題だろう」と自身と比較される若きスターを試合後のインタビューで称賛している。 コービーがユニークだったのは、「世界最高の選手になる」ということに異常なまでに固執したメンタリティを持っていたことだろう。ジョーダンの域に到達するだけでなく、追い越そうとした執念こそが、“神”に認められた最大の要因だったと言っても過言ではない。 今年の1月26日(日本時間27日)に、ヘリコプター墜落事故でコービーはこの世を去った。後日、レイカーズの本拠地ステイプルズ・センターで行われた追悼セレモニーのスピーチにてジョーダンは、自身の後継者としてNBAを支えた“弟”に愛を届けた。 「彼は最高の選手になりたいと思っていた。そんな彼を知るにつれて、私は彼にとって最高の兄貴でありたいと思ったんだ」
「NBA Rakuten」では今回紹介したレイカーズ vs ブルズの一戦を含め、ブルズ在籍時におけるマイケル・ジョーダンの名試合を配信中。さらにシャキール・オニール、チャールズ・バークレー、アレン・アイバーソンなど、ジョーダンのライバルたちの試合もお届け!