マイケル・ジョーダンに憧れたレブロン・ジェームズが、2000年代以降NBAの頂点に君臨し続けた。そして2020年、今度は次世代の選手たちが世界各国からその座を虎視眈々と狙っている。
マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズがリーグを席巻し、バルセロナ・オリンピックへのドリームチーム派遣によって世界中にNBAブームが巻き起こった1990年代以降、リーグではグローバル化が推し進められた。 90年代は日本とメキシコで計11試合しか行なわれなかった公式戦は、2011年以降に20試合も開催されている。プレシーズン戦も90年代の22試合から2000年代に25試合、2010年以降に30試合と、徐々にその数は増えている。 1994-95シーズン開幕時点では24人しかいなかった外国籍の選手は、2016-17シーズン開幕時点で113人(42か国)とおよそ20年で4倍に増加。現在行なわれている2019-20シーズンまで6年連続で100人以上が、アメリカ国外からNBAの門を叩いている。さらには、今季のダラス・マーベリックスのように7人の外国籍選手が開幕ロスターに登録されるチームさえ現れた。 外国籍選手の増加は、グローバル化によってアメリカ国外の子どもたちとNBAとの距離が縮まったことも一因に挙げられるだろう。 もちろん、その影響は日本にも及んだ。2018年10月、コービー・ブライアントに憧れていた渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズと2ウェイ契約)は、2004年の田臥勇太(フェニックス・サンズ/現宇都宮ブレックス)以来となる、レギュラーシーズンでプレイした史上2人目の日本人選手となった。その翌年には、「NBA選手になれる」という中学時代の恩師の言葉を信じ続けた八村塁が、ワシントン・ウィザーズからNBAドラフト1巡目で指名されるという偉業を成し遂げた。その八村と同じ中学でプレイしていた2年先輩の馬場雄大は、筑波大学、アルバルク東京で頂点を極めたのち、「日本からNBA」という新たな道を切り拓くため海を渡り、昨秋からGリーグ テキサス・レジェンズで研鑽を積んでいる。
「日本でNBA選手になると言ったら笑われたり無理とか言われたんですが、自分を信じて努力し続けてここにいる。一番大事なのは夢を持ち続けること」と語る渡邊は、NBAロスター定着を視界に捉える位置にいる。年明け以降は先発の機会が増えてきた馬場は、「結果を出せば周りからも認めらるし、逆に結果を出さなかったら評価は下がっていくだけ」と、NBAへの道を突き進んでいる。
そんな現在のNBAで90年代のジョーダンと同格の存在感を放つ選手は、レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)だろう。206cmの長身ながらプレイメークを巧みにこなすスタイルはマジック・ジョンソンを、いつでも得点を奪える能力はジョーダンやコービー・ブライアントを彷彿とさせる。コービーの死を乗り越え、今季ロサンゼルスに10年ぶりの優勝をもたらしたならば、ジョーダンが成し遂げた2度のスリーピートと並ぶ伝説として長く語り継がれるだろう。
そんなレブロンと双璧をなすのは、ヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス)とカワイ・レナード(ロサンゼルス・クリッパーズ)だろう。 ギリシャ出身のアデトクンボは、211cmとセンター級のサイズながらコートを縦横無尽に駆け抜ける走力と跳躍力を持つ。ゴールへアタックしてダンクに持ち込むパワーとスピードは、さながらシャキール・オニールのようだ。さらに、全盛期のスコッティ・ピッペンのような機動力もあるため、リバウンドを奪ってそのままボールを運び、フィニッシュすることだってできる。昨シーズンは自身初のMVPも受賞。心身ともに充実の時を迎える25歳が今見据えるのは、ファイナルの舞台だ。 史上初めて東西のチームでファイナルMVPを獲得しているレナードは、“優勝請負人”と評される。サンアントニオ・スパーズ在籍時には、指揮官から渡されたチャールズ・バークレーのプレイ映像集から、ダブルチームへの対応を学んだという。リーグ随一の“暴れん坊”だったバークレーとは対照的に、相好を崩すことすら滅多にないレナードだが、ボールに対する執着心など内に秘める闘志は勝るとも劣らない。局面での勝負強さも秀逸で、試合終盤ではボールを託され、チームを勝利に導くレナードの姿が見られるだろう。
3ポイントラインのはるか後方からでもステップバックでリングを射抜くジェームズ・ハーデン(ヒューストン・ロケッツ)、NBA2年目ながら老獪なプレイで毎試合トリプルダブル級の数字を叩き出すスロベニア出身のルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)、正確無比の3ポイントシュートによってチームの戦術、ひいてはリーグ全体に長距離砲重視という前代未聞のトレンドを生み出したステフィン・カリー(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)――。90年代の曲者たちに引けを取らない個性派たちを挙げようとすれば、枚挙に暇がない。
ジョーダン黄金期の90年代もそうだったように、現在のNBAでもレギュラーシーズン後半戦からはドラマティックな結末が頻発し、スーパースターたちによる超人的なパフォーマンスを観ることができる。無論、大きく変化した点も少なくない。そのひとつがセンターの役割だ。アキーム・オラジュワン、デイビッド・ロビンソン、シャキール・オニール、パトリック・ユーイングら、90年代にリーグを席巻していたセンターは主にインサイドが活躍の場だった。しかし、今のセンターは3ポイントが打てるのが当たり前。ニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ)のように、チームトップのアシストを記録するセンターすら現れている。 そして何より、圧倒的にオフェンスが有利になった点が挙げられるだろう。フィジカルコンタクトに対するジャッジが厳しくなった結果、選手たちはオフェンスでよりクリエイティブなプレイを披露する機会が増えた。そうした恩恵を受けたのが、先述のハーデンやカリーと言った選手たちである。
一方で、リーグの頂点に立つにはディフェンスが不可欠なのは90年代と変わらない。今の選手たちもそのことを重々承知しているのだろう、ルール変更によって久々に真剣勝負が繰り広げられた今年のオールスターでは、試合終盤で激しく身体をぶつけ合う場面が見られた。それは、90年代のフィジカルなバスケットボールそのものであった。 90年代から脈々と受け継がれるフィジカルなディンフェンスと、創造性と緻密さが折り重なった現代ならではのオフェンス。伝統を守りつつも変化を恐れない姿勢は、去る1月1日(日本時間2日)に逝去したデイビッド・スターン前コミッショナーが生前描いていたリーグの理想像そのものである。 そして、そうした“矛盾”の中でしのぎを削り合う、自分よりはるか年下の現代のプレイヤーたちに、ジョーダンに対するものと変わらぬ畏敬の念を禁じ得ないのだ。
ライター 北舘洋一郎 / YOICHIRO KITADATE 大学時代よりファッションエディター、スポーツライターとして『Number』『Boon』『DUNKSHOOT』などで執筆、編集活動をする。1996-99年、アメリカ、シカゴに渡りマイケル・ジョーダンを密着取材する。2012年には米『Complex」でスニーカー界に影響を与えた世界の50人に選ばれる。帰国後はNHKなどでNBAテレビ解説、『ABOVE』『FLY』などに執筆。