「怪我さえしていなければ……」。アスリートと怪我はつきものであるが、NBAにはそんな思いを持たざるを得ない選手たちが数多くいる。ビル・ウォルトン、アンファニー・“ペニー”・ハーダウェイ、グラント・ヒル、ブランドン・ロイらは、将来を嘱望されながらも、怪我で期待されたようなキャリアを歩めなかった。1990年代から2000年代にかけてプレイをしたジャマール・マッシュバーンも、その1人だろう。
NBAでは得点力を極めた選手を“プロフェッショナル・スコアラー”と称することがあるが、“モンスター・マッシュ”の異名で知られるマッシュバーンはまさにそれだった。名門ケンタッキー大で2年生時から2年連続で平均21得点以上を記録した生粋の点取り屋は、1993年のドラフト1巡目4位でダラス・マーベリックスに指名されてNBA入りを果たすと、すぐさまその実力を発揮。広いシュートレンジ、卓越したボールハンドリング、そして203cm・112kgというサイズを生かしたプレイで、ルーキーイヤーから1試合平均19.2得点を記録すると、2年目には歴代最高のディフェンダーの1人に数えられるスコッティ・ピッペン擁するシカゴ・ブルズ相手に50得点を叩き出すなど、リーグ5位となる平均24.1得点をマークし、リーグ屈指の若手スコアラーとしての地位を確立した。 その後、更なる飛躍を期待されたマッシュバーンだったが、それ以降は怪我に悩まされることに。3年目は開幕からわずか18試合目で膝を怪我して、その後のシーズンを全休。出場機会が減少した翌シーズンには、シーズン途中にマイアミ・ヒートへ放出された。ヒート時代はアロンゾ・モーニング、ティム・ハーダウェイに次ぐ3番手としてまずまずの成績を残すも、怪我による欠場も少なくなく、日の目を浴びなかった。
なかなか思い通りのキャリアを築けなかったマッシュバーンだったが、2000年の夏に成立したシャーロット・ホーネッツへの移籍を機に息を吹き返す。アンソニー・メイソンらとの交換でホーネッツに加入したマッシュバーンは、加入初年度の2000-01シーズンに5年ぶりとなる平均20得点超えを達成。翌年は再び怪我で40試合の出場にとどまったが、コートに立てば平均21.4得点と存在感を発揮した。
キャリア最高のシーズンは、ホーネッツがニューオーリンズに拠点を移した2002-03シーズンに訪れる。節目の30歳を迎えるシーズンでマッシュバーンは、自身初のシーズンフル出場を果たし、10年目にして初めてオールスターに選出。シーズンを通して、平均21.6得点、6.1リバウンド、5.6アシストの好成績を残し、オールNBA3rdチームにも選ばれた。特に圧巻だったのが、オールスター後の2月21日に行われたメンフィス・グリズリーズ戦だ。ドライブ、ポストプレイ、3ポイントと様々な技を駆使し、フリースローも12本すべて沈める円熟味の増したプレイを披露。試合終了間際には決勝点となるシュートを決め、キャリア2度目の50得点試合を達成し、攻撃面での完成度の高さを改めて世間に知らしめた。
リーグ屈指のプレイヤーとして評価を高めたマッシュバーンだったが、その輝きは長くは続かなかった。2004年3月に膝を再び負傷。「(怪我は)僕にとっての日常。ポジティブでいなければいけない」と復帰を目指してリハビリに励むも、彼が再びコートに戻ることはなく、2006年に引退を表明している。 13年のキャリアで平均19.1得点、5.4リバウンド、4.0アシストを記録。出場はわずか19試合だったが、最後のシーズンにも平均20.8得点とスコアラーとして衰えは見せていなかっただけに、怪我さえなければ歴代の名スコアラーと肩を並べる存在として人々の記憶に残っていたかもしれない。 ■ジャマール・マッシュバーン ■身長・体重:203cm・112kg ■出身地:ニューヨーク州ニューヨーク ■大学:ケンタッキー大学 ■受賞歴:オールルーキー1stチーム(1994)、オールスター出場(2003)、オールNBA3rdチーム(2003)