NBAの文化を変えた、ダラス・マーベリックスのドイツ人フランチャイズプレイヤー ダーク・ノビツキー

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唯一無二のプレイスタイルを持つドイツ出身の摩天楼

7フッター(213cm)の選手がポストアップからのフェイドアウェイシュートを放ったかと思えば、柔らかいタッチでスリーポイントまで難なく決めてしまう。今でこそ長身選手がアウトサイドシュートを打つこと自体は珍しくなくなったが、2000年代初頭からこのプレイスタイルを貫いていたダーク・ノビツキーは、唯一無二の外国人選手というポジションを確立させていた。 ドイツでプレイしていた1996年、ナイキ主催の「フープ・ヒーローズ・ツアー」で当時NBAのスーパースターとして君臨していたチャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンと対戦する機会に恵まれる。その試合でノビツキーはバークレーの上からダンクをかまし、バークレーに「NBAに来たいなら俺に電話をしてこい」とまで言わせたほど。この後、1998年に開催された「ナイキ・フープサミット」の全米ジュニア選抜vs世界ジュニア選抜の試合で33得点、14リバウンドを記録したノビツキーは、ラシャード・ルイスやアル・ハリントン等がリードした全米選抜チームを破ったことにより、多くのNBAのスカウト陣の目に留まることになる。 当時、外国人選手が上位指名でNBAへ入団することは珍しかったが、マーベリックスのヘッドコーチ、ドン・ネルソンの巧みなトレード戦術もあり、マブスは1998年のオフに後にシーズンMVPを受賞するノビツキーとスティーブ・ナッシュという2人の偉大な選手を手に入れることになる。 ノビツキーは入団時は線が細く、ディフェンスが出来ないレッテルを貼られてしまっていた。得意のアウトサイドシュートのみでなく、パワーと技術力を満遍なく養うことで、2年目にはMIP投票で2位という位置につけるほど急成長を遂げた。 その後、順調にオールスター選手へと成長することになるのだが、当時ノビツキーが主に務めるパワーフォワードのポジションには優秀な選手が多く存在した。ティム・ダンカン、ケビン・ガーネット、クリス・ウェバー、ラシード・ウォーレス等がその代表格で、彼らは避けては通れない壁としてノビツキーの前に立ちはだかった。これらの選手とのマッチアップを通してノビツキーは更なる成長を遂げることになるのだが、シーズン中は好成績を残すも、手強いライバルチームの存在にプレイオフでは勝ち切れないというシーズンが長らく続いた。特に、2006-07シーズンにはチーム記録となる67勝を記録。ウェストの第1シードを獲得し、ノビツキー自身もシーズンMVPを受賞する最高のシーズンを送った上でプレイオフに臨んだのだが、チームはプレイオフ1回戦でまさかの第8シードのゴールデンステイト・ウォーリアーズにアップセットを喫た。その結果ノビツキーを中心とするチームでの優勝は不可能なのではないかとの声が囁かれ始めた。 しかし2010-11シーズンにはジェイソン・キッド、ショーン・マリオン、タイソン・チャンドラー等の協力メンバーと共に、一気にそしてようやく、頂点へと駆け上がることになる。ノビツキーはファイナルゲーム1で左手中指の腱を断裂、ゲーム4では鼻炎と高熱に苦しみながらのシリーズとなり、一時チームも負け越す事態に陥った。しかも、相手は全盛期のレブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュのスリーキングスとあって、優勝は厳しいとの声が先行した。しかしこれまでの屈辱を晴らすかのようにノビツキーが勝負強さを見せ、エースにふさわしい活躍で優勝を大きく引き寄せたのだ。勢いに乗ったマブスは悲願の初優勝を果たし、ファイナルで平均26.0得点、10.2リバウンドを記録したエースのノビツキーはファイナルMVPを受賞した。ノビツキーが入団してから13シーズン目のことだった。 近年ではNBAのスカウト陣はその視野を海外にも広げ、優秀な外国人選手がドラフトで上位指名を受けることはもはや全く珍しいことではなくなっているが、その陰には間違えなくノビツキーの成功事例があるからと言えよう。

今シーズン限りの引退を表明したフランチャイズプレイヤー

NBAで最も成功した外国人選手はダーク・ノビツキーと言っても、反対意見はそうは出ないだろう。制限のないシュートレンジ、213cmから繰り広げられるブロック不能なフェイドアウェイシュート。片足を上げ、後ろに倒れるようにシュートをする姿から、類ないバランス感覚を持っていることが伺え、他の選手が真似できないそのシュートは、いつしかノビツキーのシグネチャームーブと呼べる特別な技となっていた。チームを優勝に導いたことで、勝ちきれないマイナス評価を払拭し、欧州No.1プレイヤーから、一時はNBA No.1プレイヤーと呼ばれる座までのし上がった。 マブス一筋21年という輝かしいキャリアをもって、今年のオールスターにはスペシャルロスターアディション枠で、14度目となるオールスターゲームにも出場し、観客を大いに楽しませてくれた。 また、印象深いシーンとしては、2月25日のロサンゼルス・クリッパーズ戦での出来事が記憶に新しい。試合時間残り9.4秒でクリッパーズのドック・リバースHCはタイムアウトを要求。もはや勝敗には影響のない場面だったのだが、ドッグ・リバースHCはスコアラーのテーブルに歩み寄り、マイクを掴んでノビツキーの功績を称え、会場のファンに声援を送るよう促したのだ。アウェイでこのような粋な計らいを受けるあたりが、ノビツキーがいかにNBAファン全体に愛されてきたのかを表している。 インターナショナル選手としては唯一通算3万得点を記録し、3月18日にはウィルト・チェンバレンを抜いて通算得点記録で歴代6位にランクインしたノビツキー。21年間、当たり前のようにリーグで活躍してきたその男の存在の大きさに我々はまだ気付いていないのかもしれない。リーグからノビツキーを失うのは、マイケル・ジョーダンやコービー・ブライアントを失うのと同じインパクトを持つことになる。ホーム最終戦で正式に引退を表明したノビツキーだが、今後もマブスと関わる仕事を与えるとチーム側も明言しているだけに、いつかはヘッドコーチとして彼の姿を再び見れることを期待したい。 マブスにはルカ・ドンチッチ、クリスタプス・ポルジンギスという欧州出身の有望な若手選手が存在する。可能であるならば、ノビツキーと合わせて3人の共演が見たいところではあるが、反対にノビツキーも彼らがいるから安心して引退できたのかもしれない。ノビツキーは引退後、ファンやチームに対して、これまでの感謝の気持ちを長い時間をかけ自らの言葉で手紙に綴っている。強い主張はせず控えめだが、着々と得点を重ねていくプレイ同様、なんともノビツキーらしいやり方だ。21年間マブスを引っ張った絶対的エースに、心からエールを送りたい。 間違いなく殿堂入りをするであろうノビツキー。マブス一筋21年、チームやファンからはこの上なく愛され続けたノビツキーだが、実は過去に結婚詐欺にあっているというのだから驚きだ。現在は3人のお子さんにも囲まれて、順風満帆な生活を取り戻しているはずなので、是非引退後もバスケットには関わりつつも、第二の人生を満喫していただきたいと心から願う。

NBAライター ゆーきり 幼少期の10年間をアメリカで過ごす。初めて行ったNBA観戦で間近で見る選手に強い衝撃を受けNBAにどっぷりのめり込み、自身もバスケットボールを始める。ファン歴は20年を超え、これまでの自身の知識を発信しNBAファンを増やしたいという想いから、ブログ「NBA journal」を開設。現地の情報をもとに、わかりやすくもマニアックな内容を届けることを意識し、日々奮闘している。

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