NBAの新シーズン開幕が迫っていたある日、編集部へ一本の電話が入った。エア・ジョーダン34のリリースを控えた「ナイキ」が、その全貌を一部のメディアに明らかにするというのだ。私はあれこれ詰まった予定も見ずに、スーツケースにたっぷりのバッシュとジャージを詰め込んで、「ナイキ」がヘッドオフィスを構えるオレゴン州ポートランドへ飛んだ。
リリース前のエア・ジョーダン34をトライアルできるとあって、高ぶった気持ちを抑えきれないままシートに身を委ねること9時間半。“スニーカーの聖地”とも言われるポートランドへ到着!全米のベストシティランキングにも選ばれている、自然に囲まれた人口約60万人の小さな街。サスティナブルな街づくり、食のフィロソフィやアートの素晴らしさ、教育や福祉の充実に加えて、消費税0%というのも魅力だ。また、“KEEP PORTLAND WEIRD(ポートランドはヘンテコなままでいよう)”をスローガンに掲げ、ナショナルチェーンよりローカルなスモールビジネスや職人を支持し、仲間を賞賛しあう。そんな愛情たっぷりな街が“RIP CITY”なのだ。 一瞬、初日はゆっくりとフライトの疲れを癒そうと頭をよぎったが、「この街に来たのなら、コーヒーを飲まずにはいられない!」と、言わんばかりに「スタンプタウン・コーヒー・ロースターズ」のラテを飲み、バーンサイド・スケートパークをチェック。エースホテルでポートランダー気分を満喫したら、スーパーであれこれ買い込んでからホテルへ戻った。
ホテルのロビーでさっと朝食を済ませたら、ピックアップカーに乗り込み、ポートランド市街地から西に約7マイル(11km)に位置するビーバートンにある「ナイキ」ワールド ヘッドクォーター キャンパスへ。世界各国のメディア陣が一同に集結した。ここへ来るのは今回が2度目。どうしても再訪したかったジョーダンキャンパスへ!そう、ここはあのマイケル・ジョーダンのヒストリーが詰まったマイケル ジョーダン ビルディングだ。キャンパス内はエントランスや壁、部屋へ続くアプローチまで、あらゆる場所に“バスケットボールの神様”であるジョーダンの歴史が刻まれていて、息もできないほどの興奮(決して大げさではない!)に包まれる。厳重なセキュリティを通って、いよいよ潜入。
通された部屋には、ジョーダンが実際にコートで愛用したバッシュやデザインのアイデンティティとなった資料、スニーカーのデザイン画が壁一面にディスプレイされていて、マニアにはたまらない空間! 私たちは1997年のブランド発足の主要メンバーの一人で、ティンカー・ハットフィールド(Tinker Hatfield)と共に長年エア・ジョーダン・シリーズを手がけてきた「ジョーダン ブランド」フットウエア担当ヴァイスプレジデントのジェントリー・ハンフリー(Gentry Humphrey)が語る開発ストーリーに耳を傾けた。 1988年にエア・ジョーダン3作目(ティンカー・ハットフィールドが手掛けたジョーダンシリーズ一作品目)としてマイケル・ジョーダンに用意された1足について、「AJ3は耐久性が必要だった。オーバーレイで強さを表現し、大きな特徴である3/4カットとエレファントプリントで『ジョーダン ブランド』らしいデザインに仕上がった」と話した。さらに、同年のダンクコンテストでは迫力満点の見事なダンクを決めた、アトランタ・ホークスのドミニク・ウィルキンズスに対してジョーダンはまさかのフリースローラインから空中を歩くようにジャンプし、そのままダンクを決めて大逆転優勝を飾っているのだが、この時、ジョーダンが履いていたシューズがAJ3だったのだ。そうして、ティンカーやジェントリーらが生み出したデザインは、伝説的なエピソードと記録が重なって、歴史に残る一足となったのである。 また、1995年に初登場したエア・ジョーダン11について、「私が一番好きなシューズがこのAJ11です。マイケル・ジョーダンはAJ9の時からパテントを使って欲しいと言っていました。我々は長年、ジョーダンを悩ませ続けた足底筋膜炎をカバーし、プレイオフまで耐えられるシューズを作ることが大切でした。ソールが曲がり過ぎると足の腱が伸びてしまう。彼が足底筋膜炎に困らないように透明なラバーのカーボンファイブを使用し、合皮のパテントを使うことで足がブレないようにしました。当時は90〜95%の人に嫌がられたシューズでしたが、私たちは好きだったし、画期的だと思っていた。こうして大胆にプッシュした結果、市場に出せたと思う」と、当時のエピソードを明かした。
今回のお目当てである最新作エア・ジョーダン34は、シリーズ史上最軽量かつ高反発が売り。月や洞窟、車などにインスパイアされたというデザインは大胆で、斬新なミッドソールとヘリンボーンのトラクションパターンを組み合わせた、アイコニックなデザインになっている。カルチャーアイコンとしての伝統を継承しながらも、革命的なエア・ジョーダン34は、コート上で最大限にパフォーマンスを発揮することだろう。 開発者で「ジョーダン ブランド」のパフォーマンスフットウエアのシニアデザイナーであり、これまでエア・ジョーダンをはじめ、数々のプロダクトを世に送り出してきたジョーダンフットウェア部門シニアデザイナーのテート・キュービス(Tate Kuerbis)は「このシューズで気に入っている点は、過去の『エア・ジョーダン』に似ていないという点です。ただ、最も純粋にバスケットボールに必要な要素を取り入れたシューズだと感じるでしょう」と述べた上で、「デザインが仕上がるまでにイノベーションレベルからスタートして、実に18ヶ月を要した」と振り返った。バスケットボールイノベーションフットウェア部門シニアデザインディレクターのロス・クライン(Ross Klein)は「3、4回は試作した。パフォーマンスについては、何ができるかルールを破る可能性があった。とにかくローンチ日だけは外せなかったんだ」という。
一同はワールドキャンパス内のバスケットボールコートに移動。予め、ロッカールーム(ドアには一人一人ネームが貼られ、まるで個人ロッカーのような演出。ボ―ルを触る前からテンションは徐々に上がる)に用意されたウェアに着替え、リリース前のエア・ジョーダン34をトライアルし、バスケットを行うプログラムに参加。ふと、“ポートランドでボールに触れたのは初めてかな”など考えながら、ステップやシュートの練習をしていると、突如コートのドアが開き……なんと、目の前にNBAのスーパースター、デトロイト・ピストンズのブレイク・グリフィンが登場! “OMG〜!”屈強な体躯、圧倒的なオーラはスーパースターの威厳そのもの。マイクを渡されたグリフィンは、簡単な挨拶と共にエア・ジョーダン34の履き心地や魅力を話した。 さらに、レイアップシュートやジャンプシュートのディフェンダーとなり、シュートを決める度に「Nice!」と声をかけてくれるグリフィン。最高かよ……終始、私の胸は高鳴りっぱなし。何度も心の声が出ちゃう。以前、LAで彼に会った際は、短いインタビューしかできなかったが、今回は初めてプレイシーンも生で見られた。グリフィンも一緒にミニゲームをするなど、まさに夢のような時間だった。
興奮冷めやらぬ3日目の朝。せっかくポートランドに来たのだから、早朝から足を伸ばして朝食を食べに行こうよ! ということになり、ポートランド発・「カムデンズブルースタードーナツ」へ。広い店内のカウンターでメンズ4人と共にドーナツを頬張り、糖質を注入。足早に会場へ向かった。この日はスニーカーシーンを牽引し続ける、不朽の名作“エア・フォース 1”の最新モデルをいち早くチェック。エア・フォース 1プロダクトディレクターのジョージズ・ラボジエールとエア・フォース 1シニア プロダクトラインマネージャー、ルーシー・ボイヤーが“AIR FORCE 1 HO19”や“SHADOW”の開発エピソードを語った。現在、東京のGIRLSシーンで大人気の“SHADOW”についてルーシーは、「ダブルハイトにしたミドソールがスタイリッシュでより都会的なセンスを演出してくれるわ!」と話し、誰もが目を引くプレイフルなデザイン、ガーリーなカラーリングは、バッシュ初心者からスニーカーヘッズまでをカバーしてくれることに違いない。
その後は、エア・フォース 1やパーカー、トートバッグのフリーセッションへ。エア・フォース 1をカラフルなシューレースやペイントで自由にカスタムできるとあって、用意された真っ白のシューズを前に黙々とカスタムを行うメディア勢の姿が印象的だった。 3日間にわたるポートランド取材では、開発者のエピソードに耳を傾け、これまで歴史に名を残す数々のテクノロジーを開発してきた「ナイキ」のイノベーションを改めて感じることができた。個人的には、歴代のエア・ジョーダンについて語った「ジョーダン ブランド」のフットウエア担当ヴァイスプレジデントのジェントリー・ハンフリー(Gentry Humphrey)の言葉がパンチラインだったな……など、まだまだ余韻を残しつつポートランドを後にした。いよいよ開幕したNBA2019-20シーズン、各チーム白熱の戦いに注目したい。
THE ポートランドなお土産。(左上から時計回りに)「ナイキ」エア・ジョーダン4、ポートランド・トレイルブレイザーズ、CJ・マッカラムのユニフォームとストラップ、「パウエルズ・ブックス」で見つけたカード、ポートランド発「ジェイコブセンソルト」のハンドメイドシーソルト、滞在先ホテルのコーヒーチケット、「ジャスティンズ」のグルテンフリー&オーガニックのチョコレート、「スティーブンスミスティーメーカー」の紅茶、「オムノム」のソルトチョコレート。
KATE T. OHIRA NBA/元VOGUE GIRLエディター/ライター/PT/アスレティックトレーナー KIDSの頃にサクラメント・キングスのJ-WILLに衝撃を受けて以来、NBAの虜になり20歳までバスケットボール選手として過ごす。その後、PTやトレーナーとして活動する傍ら、出版社にてファッションやウェルネスコンテンツの制作・監修、NBAの取材を行う。現在はフリーランスの編集者としてウェルネスシーンを中心に携わり、スポーツを通してポジティブに生きることの素晴らしさを伝える。