「NBAの試合はチェスみたいなものさ」 昨シーズン名古屋ダイヤモンドドルフィンズを取材した際、クレイグ・ブラッキンズが言った言葉を鮮明に覚えている。ブラッキンズは2010年のドラフト1巡目21位でオクラホマシティ・サンダーに指名された後、デビュー前にニューオリンズ・ペリカンズを経てフィラデルフィア・セブンティシクサーズにトレードされた。シクサーズで2シーズン過ごしたが、わずか17試合の出場に留まった。それ以降はNBAに残れず、海外を転戦している。 ブラッキンズは体格もあり、スリーポイントも打てる。デビューが他のチームであれば、ストレッチ4としてもう少し活躍できたかも知れない。しかし、当時のシクサーズではチェスの駒としてハマらなかった。本人はそんな思いを抱えていたのだろう。 ロールプレイヤーという言葉がある。特定の役割をこなす選手というほどの意味である。この言葉の存在が、チェスのようなNBAの試合を端的に表している。NBAはスターのリーグだとよく言われる。興行としても試合としてもスター選手を中心に回っているのは間違いない。しかし、スター選手はほんの一握りに過ぎない。各チームに一人か二人、多くても三人といったところだ。その他大勢の選手たちは、いかに有用なロールプレイヤーになれるかを競い合っているのである。
先日、メンフィス・グリズリーズの渡邊雄太選手が初の自伝『「好き」を力にする』を上梓した。この本の中で渡邊選手は自分はスターになろうとしていないこと、ロールプレイヤーを目指していることを再三再四書いている。 グリズリーズで渡邊選手に期待されるロール(=役割)は、いわゆる3&Dである。3はスリーポイントシュート、Dはディフェンスの意でスリーポイントを決めることができる優秀なディフェンダーを指している。渡邊選手はディフェンス面ではすでにある程度の信頼を勝ち取っているように見える。問題はスリーポイントで、Gリーグでは決まるシュートがNBAでは決まらない。本人も著書の中で課題として挙げていた。 あとがきの日付には、8月吉日とある。つまり、渡邊選手は自伝を書き上げてからワールドカップに臨んだことになる。ご存知の通り、ワールドカップのグループリーグで日本は全敗を喫した。チームとしても苦しんだし、渡邊選手個人としても苦しんだ。順位決定戦でニュージーランドに敗れた後に渡邊選手が出した「日本代表として恥をかいた」「このままでは日本に帰れない」という悲痛なコメントが全てを物語っている。 その後の最終戦もモンテネグロに完敗して、日本代表13年ぶりのワールドカップは5戦全敗で終わった。しかし、この試合で渡邊選手は爪痕を残した。爪痕を残したというよりは牙を剥いたという表現の方が近いかも知れない。渡邊選手は最終戦、今大会最多タイの34得点を叩き出したのである。 「このままでは日本に帰れない」というほど精神的に追い詰められていた渡邊選手が34得点という結果を残したことに、私は驚いた。しかも今大会を通じてスリーポイントが不調だった渡邊選手は、この日も放った3本のスリーポイント全てを外していた。もちろん、モンテネグロ代表をNBAのチームと比べれば数段劣る。しかし、その分いくらか割り引いたとしてもディフェンス3秒のないFIBAルールで、ツーポイントとフリースローだけで34点取るのは至難の業である。
正直に言えば、当初私にはワールドカップのモンテネグロ戦をどう評価していいのかわからなかった。すごい記録ではあるが、渡邊選手がグリズリーズでこの役割を与えられることはない。グリズリーズでロールプレイヤーに戻ったときに、この経験を還元できないのではないか。それよりも大会を通じてスリーポイントが入らなかったことの方が気にかかっていた。 ワールドカップが終わった2週間後、NBAのプレシーズンが始まった。ヘッドコーチが変わり、グリズリーズは新しいスタイルを模索していたが、渡邊選手がローテーションに入っていないことは明白だった。短い出場時間でテイラー・ジェンキンズ新HC(ヘッドコーチ)にアピールする。それが渡邊選手の任務だった。 しかし最初の3試合、渡邊選手は無得点に終わってしまう。出場時間が少ないことは想定していただろう。とは言え、焦りは感じていたはずだ。そんな状況で迎えたプレシーズン4戦目のオクラホマシティ・サンダー戦で、渡邊選手は再びその牙の鋭さを見せた。8分の出場で8点を奪ったのである。フェイクハンドオフからのダブルクラッチは、その日のトップ10プレーにも選出された。 追い詰められた渡邊選手は果敢にリムにアタックした。ワールドカップに続き、プレシーズンでも牙を剥いた。実にセクシーである、と私は思った。彼の著書を見ればその知性がわかる。その真面目ぶりが知れる。彼にはロールプレイヤーの資質があるし、きっと彼ならなれるだろう。しかし、ロールプレイヤーとして大成してからも、彼は時折突如として牙を剥いては、相手のゴールに襲い掛かるのではないだろうか。そんな日を想像すると、私は微笑を禁じ得ないのである。
自伝『「好き」を力にする』によれば、幼き日の雄太少年は父英幸氏から虎の穴さながらの猛特訓を受けていたという。その頃の英幸氏の口癖は「リングから逃げるプレイをするな!」だったそうである。追い詰められたとき、渡邊選手は無意識にその原点に戻るのかも知れない。 『「好き」を力にする』には家族や恩師との思い出から、渡邊選手がどういう思いを持ってプレーしてきたかが書かれているので、当コラムを読んで興味が出た方には是非ご一読いただきたい。加えて、弊誌『ダブドリ vol.6』では父英幸氏や恩師色摩先生のロングインタビューも掲載されているので、合わせて読めば自伝の魅力をさらに広げてくれるはずである。どんなスター選手もロールプレイヤーがいなければ輝けない。自伝とダブドリはセットでご購入、どうぞよろしくお願いします。
大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。Twitter:@SOHEIOSHIBA