八村塁が日本人史上初めてドラフト1巡目指名を受け、BリーグのファイナルMVP馬場雄大(アルバルク東京)がNBA挑戦のために渡米し、先日は16年ぶりにNBAジャパンゲームズが開催された。これまでは国内バスケしか興味がなかったが、最近NBAに関心が出てきたという人も多いだろう。昔NBAを観ていたオールドファンの中にも、もう一度観てみようかと考えている人もいるのではないだろうか。 最初はハイライトで満足していたが、だんだん物足りなくなってきた。でもどの試合を観ればいいかわからない。そんな段階の皆さんに、私からアドバイスがある。それは毎日面白そうな試合を選んで観るより、適当に1チーム見つけてファンを自称してしまった方が楽しめるということである。 日本であれば、地元のチームを応援しようと思うのが一般的だろう。しかし、大多数の日本人はアメリカに縁もゆかりもない。だから、どのチームのファンになろうがこっちの自由である。逆に選択肢が多すぎてどこのファンになればいいかわからないという人もいるだろうが、大袈裟に言えば手段はあみだくじだっていい。とにかく1チーム決めるのが肝心なのだ。あみだくじで決めたチームの試合を観て、気に食わなければまたあみだくじをすればいい。所詮、地球の裏側のスポーツ興行の話である。まずは気楽に「これ」というチームを見つけて欲しい。
選手が格好良い、チームのスタイルが好きだ、ユニフォームがお洒落など、入り口はいくつもある。ご参考までに、私がメンフィス・グリズリーズを応援するようになった経緯をお話ししよう。 私がグリズリーズのファンになったのは、ちょうどグリズリーズがバンクーバーからメンフィスに移転した2001年のことである。シェーン・バティエという選手が入団したのが切っ掛けだった。それまでの私は特定のチームというよりは、特定の選手を応援していた。その特定の選手とはクリスチャン・レイトナーという選手で、あのデューク大学をNCAAトーナメント初優勝に導いたカレッジバスケ界の英雄である。1997年にオールスターに出場したのがハイライトでプロキャリアはカレッジほど成功しなかったが、最初に好きになった選手のよしみで彼がジャーニーマンになってからも応援し続けた。 2001年にNBA入りしたバティエも、デューク大学出身である。高卒ルーキーが認められていた上にアーリーエントリーが増えてきた時代だったにも関わらず、バティエは4年間大学でプレイした。4年時には主将としてチームをNCAAトーナメント優勝に導いている。デューク大学で成功を収めたバティエに、私はレイトナーの影を見ていたのだ。 バティエは同期のパウ・ガソルと共に、1年目から主力として活躍した。素晴らしいキャリアのスタートだったが、実は私がグリズリーズにハマったのは彼が主役から名脇役へ変身し始めた2年目以降である。メンフィスに移転して2年目、8連敗でスタートしたチームはシドニー・ロウHCを解雇した。後任に選ばれたのは、なんと当時69歳のヒュービー・ブラウンだった。ブラウンは最優秀コーチ賞を受賞したこともある名将だが、最後にNBAで指揮を執ったのは16シーズンも前のことだった。彼が最優秀コーチ賞の栄誉に輝いたのは1978年――バティエが生まれた年である。 しばらく現場から離れていたブラウンに孫ほど歳の離れた選手たちを指揮させるなど正気の沙汰ではないと批判もあったが、名伯楽は奇跡を起こした。就任1年目から球団史上最高の28勝を挙げると、2年目の2003-04シーズンには50勝32敗の成績を残してグリズリーズを球団初のプレイオフへと導いたのである。このシーズン、ブラウンは自身2度目の最優秀コーチ賞に輝いた。 長々書いたが、ここで語りたいのはブラウンの偉業ではない。無論、後年名脇役として名を馳せたバティエのことでもない。すでに読者諸兄はお気づきだろうが、私がグリズリーズファンになったのは偶然の積み重ねに因る。バティエに興味が湧かなければブラウンの奇跡を目撃することはなかった。レイトナーを応援していなければ、バティエに関心を持つことはなかった。レイトナーのファンになったのも、たまたま友達の家で大学時代の彼のハイライト映像を見たからだった。
実は社会に出てからしばらくの間、熱心にNBA情報を追わない時期があった。さらに実家を出てからは、NBAが放送されていたBSを観ることもできなくなった。 私がNBA観戦を再開したのは2012年前後のことだと思う。当時私は “ALL-ROUND MAGIC” というオーランド・マジック応援ブログの読者だった。そのブログを通じて、どうやらTwitter上でNBAファンと交流できるらしいとを知った私は、早速NBA用のアカウントを作成した。グリズリーズのファンになった頃は『DUNK SHOOT』や『HOOP』などの雑誌で情報を集めては、BSでたまに放送されるグリズリーズの試合を楽しみにしていた。情報が少ない時代もそれはそれで良かった。一つ一つの情報に一喜一憂できた。しかし、Twitterを始めてからは世界が変わった。今度は多すぎる情報の中から欲しいものを探す技術が必要になった。アカウント作成時に期待したファンとの交流も想像以上で、いわゆるオフ会を通じてリアルな友達が何人もできた。 極め付けはリーグパスの加入である。これで完全にNBAの沼にハマったと言っても過言ではない。以前は年に数回の放送を待ちわびていたグリズリーズの試合が、シーズン82試合全て観られるのである。数年ぶりに観たグリズリーズは、全く別のチームに変貌していた。堅実なパウ・ガソルを軸にしつつも、ジェイソン・ウィリアムズの華麗なパスやストロマイル・スウィフトの豪快なダンクがハイライトを彩ったあの頃の姿は完全に消え去っていた。チームを引っ張っていたのは、体をぶつけていくスタイルなのにシュートはやたらソフトタッチなザック・ランドルフと、シュート力こそ皆無ながらディフェンスのギャンブルにことごとく勝って流れを持ち込む勝負師トニー・アレンだった。以前のような華やかさは無かったが、泥臭く頑張る姿には人を感動させる何かがあった。私は、すぐに新しいグリズリーズのスタイルも好きになった。 リーグパス加入以来、私はほとんどの試合を観ている。いつのまにか頼もしいエースに成長した若手にほくそ笑み、好きな選手のトレードに落胆する。接戦に勝てばその日1日幸せだが、プレイオフで敗退すれば向こう1ヶ月虚無感に襲われる。 気がつけば、私にとってNBAは地球の裏側の話ではなくなっていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー もちろん、一人の選手を追いかけたり、スタッツや戦術の分析に明け暮れたりするのも結構である。ファンの楽しみ方は多様だが、今回はチームを応援する楽しみについて書いてみた。袖振り合うも多生の縁と言う。少しでも気になるチームがあれば、何かの縁と思って追っかけてみることをオススメしたい。
大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。Twitter:@SOHEIOSHIBA