ファンに愛され続けたスーパースター、ドウェイン・ウェイド

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マイアミを強豪へと引き上げたスーパースター

2003年組と言えば、レブロン・ジェームズ、カーメロ・アンソニー、クリス・ボッシュ等がおり、マイケル・ジョーダンが入団した1984年、コービー・ブライアントが入団した1996年以来の当たり年と言われた歴史に残る豊作世代だ。ドウェイン・ウェイドもまた、この年に全体5位指名でマイアミ・ヒートへの入団を果たしている。 ウェイドはレブロンやカーメロと比較し、NBA入団時はそれほど注目度は高くなかった。193cmというサイズはシューティングガードとしては決して高くなく、ピュアなポイントガードでもないウェイドは、NBAで通用するか分からない身体能力任せな選手という認識を一部では持たれていた。現にヒートはドラフト直前までクリス・ケイマンやカーク・ハインリック等の他選手の指名を検討していたくらいだ。最終的にはウェイドを指名することになるのだが、この時はヒート史上No.1のフランチャイズプレイヤーへ成長するなど夢にも思わなかっただろう。 身長のハンデを強靭な肉体と高い身体能力で補い、縦横無尽にコートを駆け抜けるウェイドはコート上で誰よりも早かった。ウィングスパンがレブロンとほとんど変わらない210cmあることも忘れてはならない。これが、ガードながらブロックを量産する所以とも言える。鋭いペネトレイトからファウルを獲得する能力に長けており、ジャンパーの精度も次第に向上したウェイドは、入団3年目には既にシューティングガードとしてコービーに次ぐ存在にまで成長していた。 2004-05シーズン、ロサンゼルス・レイカーズから当時インサイドの覇者として知られた「シャック」ことシャキール・オニールを獲得したヒートは、ウェイド&シャックのコンビで大躍進を遂げる。過去、コービーやアンファニー・ハーダウェイなど、絶対的エースと衝突を繰り返してきたシャックだったが、ウェイドの人としての成熟度が影響してか、2人は良好な関係性を築いた。ウェイドに馴染み深い「フラッシュ」というニックネームをつけたのもシャックなのだ。 2005-06年のプレイオフでは、カンファレンスファイナルで強豪デトロイト・ピストンズを破り、初のファイナル進出を果たす。その後当時優勢と言われたダラス・マーベリックスを0勝2敗から4連勝で破り、ヒートに悲願の初優勝をもたらした。シリーズ平均34.7得点、7.8リバウンド、3.8アシストを記録し、異常なまでの勝負強さを発揮したウェイドが入団3年目にしてファイナルMVPを獲得した。このファイナルでのウェイドの圧巻なプレイに惹きつけられたファンも多いことだろう。身体能力を活かした派手なプレイに加え、プレイオフではアウトサイドも冴え、もはやアンストッパブルな領域のプレイヤーと化していた。 その後、しばらくチームは低迷期が続くが、2010-11シーズンより、同期のレブロン・ジェームズとクリス・ボッシュが相次いでヒートへ入団したことで結成された”スリーキングス”により状況は一変。当時、クリーブランド・キャバリアーズとトロント・ラプターズの絶対的エースの相次ぐ入団に、史上最強チームの誕生とまで謳われた。当たり年と言われた2003年組がそれぞれ全盛期を迎え、同チームに結集したのだから無理もない。この感覚は、現ゴールデンステイト・ウォーリアーズにケビン・デュラントが入団した時の印象に近いものがある。スーパースターの融合は簡単ではなく、ウェイドもレブロンとのプレイスタイルに悩まされ、好不調の波が激しくなり、スタッツを落とした時期もあった。しかし、勝利のためにチームの第二オプションとなる選択肢を取ったウェイドは、その後チームを軌道に乗せ、2連覇に大きく貢献することになる。 2011-12シーズンには今ではシーズンMVPトリオとなったケビン・デュラント、ラッセル・ウェストブルック、ジェームズ・ハーデンを要するオクラホマシティ・サンダーに快勝。翌シーズンはティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリのビッグ3に、新エースとして急成長中だったカワイ・レナードを要するサンアントニオ・スパーズを撃破し、見事2連覇を達成。親友であるレブロンと共に優勝トロフィーを掲げるウェイドの姿は、今もファンの間では鮮明に思い出される名シーンだろう。

レジェンドがマイアミに残したものとは

時は経ち、昨年12月10日のヒート対レイカーズ戦、つまりはウェイド対レブロンの最後のマッチアップにステイプルズセンターは揺れていた。互いにライバル、そしてチームメイトとしても切磋琢磨してきたレジェンド2人の戦いらしく、最後まで白熱したバトルが繰り広げられた。試合後、互いの健闘、そしてこれまでのウェイドの功績を称えるように熱いハグと言葉を交わす姿に涙を誘われたバスケファンも多いことであろう。ウェイドのフェアウェルツァーで恒例となっているユニフォームの交換を行い、笑顔で写真に写るレジェンド2人の姿は、これ以上ない輝かしさを見せる一方、NBAの一時代に幕を閉じる、そんな寂しい瞬間とも捉えられた歴史的光景であった。 ウェイドは身体能力を武器にペネトレイトを中心とするスラッシャー型のガードで、クイックネスに力強さを加えた偉大な点取り屋だが、その反面、一般的にはケガをしがちなプレイスタイルでもある。本人もそのことを分かってか、キャリア終盤には徐々にプレイスタイルを変え、柔軟かつ多才なステップや相手をかわすフローターシュートなどのスキルを上げた。また、同時にアウトサイドシュートの精度を向上させ、ベテランらしい活躍でチームを支え続けた。このプレイスタイルの転換こそが、我々が長年リーグでウェイドの姿を見ることが出来た一番の要因であろう。 NBAで通算20,000得点、5,000アシスト、4,000リバウンド、1,500スティール、800ブロック、3ポイント成功500本を記録したのは、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームズに次ぎウェイドが史上3人目だ。そのウェイドのこれまでの輝かしいキャリアを称して、今年のオールスターにはスペシャルロスターアディション枠で、ダーク・ノビツキーと共にオールスターゲームへの出場を果たした。親友レブロンをキャプテンとするチームで13度目のオールスターを果たしたウェイドに対して一切バッシングは無く、いかにファンから愛され続けてきたかが分かる素晴らしい晴れ舞台であった。 4月10日、ブルックリン・ネッツの本拠地であるバークレイズ・センターで、ウェイドは現役最後の試合を迎えた。コートサイドにはレブロン、カーメロ、そしてクリス・ポールと、仲の良いメンバーが駆け付けていた。36分間という今季最多のプレイ時間で、25得点、11リバウンド、10アシストとトリプルダブルを達成し、現役を締めくくったウェイド。アウェイながら、観客の声援に大きく応えた、ウェイドらしい素晴らしい締めくくりだった。コービーが記録した60得点というフィナーレの影響により、偉大な選手の引退試合への期待感が高まりつつある今日だが、そのハードルをトリプルダブルまで下げたと冗談ながらに語ったウェイドの姿には哀愁が漂っていた。 ウェイドが宙を舞い、豪快にダンクを決め、見る者を圧巻させたルーキーシーズンから早くも16年という月日が経った。多くの記録と記憶を残し、また一人、偉大な選手がコートを後にする。ジョーダンやコービーに匹敵する無類の勝負強さを見せたスーパースターへは、マイアミのみに限らず、今後どのアリーナへ顔を出しても歓声が注がれるに違いない。ウェイドが残した功績は、次世代の夢へと繋がり、また新たなスーパースターを生むことだろう。今後ウェイドがバスケットとどのような関わり方をするのか、静かに見守り、応援したいと思う。

NBAライター ゆーきり 幼少期の10年間をアメリカで過ごす。初めて行ったNBA観戦で間近で見る選手に強い衝撃を受けNBAにどっぷりのめり込み、自身もバスケットボールを始める。ファン歴は20年を超え、これまでの自身の知識を発信しNBAファンを増やしたいという想いから、ブログ「NBA journal」を開設。現地の情報をもとに、わかりやすくもマニアックな内容を届けることを意識し、日々奮闘している。

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