1996年11月、NBAでカリスマ的な人気を博した男が“NBA Japan Games”のために来日した。男の名はアンファニー・ハーダウェイ(愛称はペニー)。201cmの長身ポイントガードで、想像力溢れるパスセンスを持っていたことからマジック・ジョンソン2世、あるいはそのカリスマ性からマイケル・ジョーダンの跡を継ぐ“ネクスト・ジョーダン”の筆頭とも謳われた。 93年のドラフト1巡目全体3位で指名された逸材は、入団後すぐにオーランド・マジックの中心選手として活躍するとオールルーキー1stチームに選出。2年目にはオールスター出場、オールNBA1stチーム選出されるなど、早くもスーパースターの仲間入りを果たす。プレイオフでも“I’m back”の名言とともにNBAに電撃復帰を果たしたジョーダン率いるシカゴ・ブルズをカンファレンス準決勝で撃破。チーム初のファイナル進出に貢献した。 そして迎えた4年目のシーズン、2年連続オールNBA1stチーム、アトランタオリンピック金メダルという実績とともに、ハーダウェイは日本の地に降り立った。
オーランド・マジックとニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)のマッチアップとなった4度目の「NBA Japan Games」。マジックはペニーとともにチームを引っ張ってきたセンターのシャキール・オニールがFAでロサンゼルス・レイカーズに移籍したが、91年からブルズでスリーピート(3連覇)を達成したホーレス・グラントや、シューターのニック・アンダーソンやデニス・スコットといったベテランが若きリーダーを支えていた。 対するネッツはこのシーズンから大学バスケ界の名将ジョン・カリパリ(現ケンタッキー大HC)をヘッドコーチに招聘(妻の出産に立ち会うためJapan Gamesでは来日せず)。屈強な肉体と身体能力が持ち味のケンドール・ギルや身長229cmのショーン・ブラッドリー、ドラフト8位ルーキーのケリー・キトルズらを中心に新たなチーム作りをスタートさせたシーズンであった。 4度目のJapan Gamesでは初めて東京ドームが会場となり、人気と実力を兼ね備えたハーダウェイのプレイを見られるとあって1日4万人に迫る観客が詰めかけた。 第1戦では、シリーズの幕開けとなったシュートを沈めたハーダウェイが試合最多の23得点。ネッツもギルが豪快なダンクを叩き込むなど両チームのエースが華麗なプレイを連発し、ドームの熱気は最高潮に。第2戦でもハーダウェイが2試合続けてのゲームハイとなる29得点と大活躍すれば、ネッツはこのシーズン、ブロック王に輝くブラッドリーが10ブロックとゴール下の番人ぶりを発揮するなど終盤まで勝敗の読めない大熱戦を繰り広げた。 この2日間で東京ドームに詰めかけた観客は約8万人。これは国内バスケ最大規模の動員数であり、当時のNBA、そしてハーダウェイの人気の高さを表している。 その後ハーダウェイは膝の怪我に苦しみ、スーパースターとして活躍した期間は決して長くは続かなかった。それでも、このJapan Gamesで見せたプレイは日本のファンの目に強く焼きつくほどの輝きを放っていた。