ブルズ黄金期を振り返るトニー・クーコッチ「ピッペンは優しかったが、ジョーダンは…」

シカゴ・ブルズの1995年から1998年までのスリーピート(3連覇)に貢献したトニー・クーコッチが、『NBC Sports Chicago』のKC・ジョンソン記者のインタビューのなかで、マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンにまつわる思い出について語った。 1990年のNBAドラフトでブルズに2巡目29位で指名されるも、1993年までヨーロッパでプレイしていたクーコッチ。のちにチームメイトとなるジョーダン、ピッペンと顔を合わせたのはオリンピックの舞台だった。 1992年、クロアチア代表として出場したバルセロナオリンピック決勝のアメリカ戦を「ドリームチーム相手にリードを奪った選手は、歴史上でも稀なはずだ」と笑いながらクーコッチは振り返った。 前半だけで7ターンオーバーを犯し、シュートも11本中2本しか決められなかったこの試合中、「何故彼らがこれほどまで激しくハングリーにプレイするのか分からなかった」と思ったことを明かしている。(NBA TVのドキュメンタリー『The Dream Team』では、ジョーダンとピッペンがクーコッチに対してハードにプレイしたのは、クーコッチを指名したジェリー・クラウスGM(ゼネラルマネージャー)への当て付けだとされている) その後、クーコッチは1993年に晴れてブルズに入団。しかし、そのチームにジョーダンの姿はなかった。 「1993年の6月に、クロアチア代表のチームメイトだったドラゼン・ペトロビッチ(元ニュージャージー・ネッツ)が交通事故で亡くなり、クロアチアで行われた彼の葬儀に出たんだ。そのあとシカゴに戻ったら、今度はジョーダンが引退を発表した。初めてブルズのチームメイトに会ったとき、全員が泣いていた。私も泣いた。そのときは、とにかく悲しかった」 そんななかで迎えたルーキーシーズン、クーコッチの助けとなったのはピッペンだった。 「普通の若手選手と違い、私が入団したのはチャンピオンであるブルズ。チームメイト全員が偉大な選手だったし、彼らは何をすべきか分かっていた。そんなチームに馴染むのは簡単なことではなかったけど、スコッティ(ピッペン)がとても力になってくれたんだ。特に1年目はね。彼は私に凄く良くしてくれた」 その後、クーコッチは1996年にシックスマン賞を受賞。1995年にNBA復帰を果たしたジョーダンの信頼も獲得し、ブルズ2度目の3連覇に貢献している。 クーコッチは「スコッティはマイケルとは違う人間性を持っている」と、長年共にプレイして分かったジョーダンとピッペンの違いについて語った。 「彼(ピッペン)は優しい人間だ。たまに怒ることはあるけれど、彼は私を助けてくれる。(対照的に)マイケルはいつもアグレッシブだ。私が落ち込んでいたら、マイケルは私のところに来て、私のお尻を叩きながら『愛してるぜ、ユーゴスラビア人の兄弟』と言うんだ。それに対して私は『違う。違う。私はクロアチア人だよ』と言い返す。こういうやり取りの数々が、楽しい思い出として私の心に残っている」

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