ニューオーリンズ・ペリカンズのザイオン・ウィリアムソンは、右膝半月板損傷で開幕に大きく出遅れたが、1月22日(日本時間23日)のサンアントニオ・スパーズ戦で待望のNBAデビュー。新型コロナウイルスの影響によりリーグが中断するまで、19試合で平均23.6得点、6.8リバウンド、2.2アシスト、シュート成功率58.9%と2019年ドラフト1巡目1位指名にふさわしい活躍を見せている。『The THINGS.com』は、「あなたが知らないかもしれない15個のこと」と題して、期待の新人ザイオンのトリビアを紹介している。 ■1:最初に奨学金を提示したのはウォフォード大 有名校ではないが、ウォフォード大はスター候補としてリクルートしようとした。大学としては、自分たちが“最初”だったことに誇りを持っていいだろう。 ■2:両親はカレッジ界のアスリート ザイオンの運動能力は遺伝だ。父親はノースカロライナ州立大のアメフトの選手でラインマン。母親はリビングストーン大のスプリンターで、継父はクレムゾン大のバスケットボール選手だった。アスリート一家であれば、彼の驚異的な運動能力にも驚きはないだろう。 ■3:RJ・バレットとキャメロン・レディッシュは一時期ザイオンよりも上位評価 RJ・バレット(ニューヨーク・ニックス/1巡目3位指名)とキャム・レディッシュ(アトランタ・ホークス/1巡目10位指名)はどちらも才能ある選手だが、現時点でどちらもザイオンのレベルにはいない。ただ、一時期、2人はザイオンよりも高い評価を受けていた。 ■4:クレムゾン大にほぼコミットしていた デューク大入り決断前、ザイオンはクレムゾン大にコミットする寸前までいった。ドラフトの指名順位には影響がなかっただろが、最終的により名門に進学している。 ■5:9歳の時、母親がバスケットボールのコーチ ザイオンは9歳の時、母親から献身性などの指導を受けた。2人は成功のためにできる限りの努力をした。 ■6:ポイントガードとして育った ザイオンはポイントガードのようなボールハンドリングと動きができる。その根底にはポイントガードとして育ってきた経験がある。 ■7:シューズが壊れてNIKEの株価が下落、10億ドルの損失 デューク大のノースカロライナ戦で転倒してシューズが壊れた際、ザイオンはNIKEのシューズを履いていた。この一件でナイキの株価が下落し、10億ドル(1073億円)の損失をこうむった。 ■8:ザイオンの母はNIKEから賄賂を受け取ったと非難を受けた 学生アスリートが大学に在籍している間に金銭的な支援を受けることに関しては厳しいルールがある。スター選手の家族となれば、そういった企業から絡みの問題が起こる可能性もある。 ■9:5歳の時に、全米No.1プレイヤーになりたいと母に宣言 ザイオンは5歳の時、この国で一番の選手になりたいと母親に言った。実際、2019年に彼は大学界で最高のバスケットボール選手だった。 ■10:選手にサインを断られた過去があり、頼まれるサインにはすべて対応 ザイオンは過去にアンソニー・デイビス(ロサンゼルス・レイカーズ)やジョン・ウォール(ワシントン・ウィザーズ)にサインを断られた経験がある。それ以来、ファンに同じ思いをさせないよう、できる限り全員にサインするのをモットーにしている。 ■11:両親は離婚 多くのNBA選手と同じく、ザイオンも5歳になるまでに両親が離婚し、その状況に慣れて育った。 ■12:ルイジアナ州立大からアメフトの奨学金オファー 彼の屈強な肉体は、ルイジアナ州立大からアメリカンフットボールの奨学金のオファーを受けるのに役立った。ルイジアナ州立大は2019年の王者で、ザイオンはタイトエンドとしてプレイする可能性があった。 ■13:人気ラッパーのドレイクがザイオンの高校時代のユニフォームを着用 セレブリティがプロアスリートのユニフォームを着るのは日常茶飯事で、大学時代のユニフォームも目にすることはある。ただ、高校時代となると滅多にいない。しかし、ドレクはザイオンがスパルタンバーグ・デイ高校出身だと示している。 ■14:デューク大史上最高のジャンプ力 名門デューク大の歴史のなかで、最高となる垂直飛び45インチ(114.3cm)を記録。NBAでも最高クラスの運動能力を持っている。 ■15:フリースローラインからダンクができる 1988年のダンクコンテスト中にマイケル・ジョーダンが見せたように、歴史上の象徴的なダンクの一部はフリースローラインからのものだ。レーンアップダンクができる選手リストにザイオンを追加しておこう。