家族とレイカーズと自分。運命の巡り合わせと、新しい歴史の幕開け【宮地陽子コラム vol.8】

このオフシーズンにフリーエージェントとしてロサンゼルス・レイカーズと契約したウェスリー・マシューズとマルク・ガソルにとって、レイカーズのユニフォームを着ることは少しだけセンチメンタルなものだった。というのも、マシューズは父のウェス(1986~88年)が、マルクは兄のパウ(2008~14年)が、かつてレイカーズに所属し、それぞれ2回の優勝を果たしているのだ。 と言っても、マシューズは父の背中を追ってレイカーズと契約したわけではなかったし、マルクも兄のアドバイスを受けてレイカーズ入りを決めたわけではなかった。 マルクは言う。 「兄からは、特にアドバイスはもらわなかった。今のレイカーズは彼がいたときとはまったく違うチームになっているしね。当時の選手は誰も残っていないんじゃないかな。コーチ陣も完全に入れ替わっている。(レイカーズとの契約は)自分で決めた」 兄がいたチームだったからレイカーズと契約したのではなく、今のレイカーズを自分で見て、話を聞いて、判断したというわけだ。 「契約先を決めるのに一番大事だったのは、コート上で自分がこのチームにどうフィットできるのか、どれだけ貢献することができるのかということだった」 マシューズも、父が所属していたチームだったということとは関係なく、今の自分を評価してくれたからレイカーズと契約したのだと強調した。 「レイカーズに決めた一番の理由は、自分を求めてくれたこと。どんな分野でも、自分の力を必要とされるのは嬉しい。単純なことだ。それが最高のチームだったらなおさらだ」

“元レイカー”の兄を持つマルクだが、今回の移籍について特にアドバイスはもらわなかったと明かす

兄パウを通してレイカーズという組織を知る

今回の選択をする前から、2人の思い出の中には、レイカーズがあった。 マルクの場合は、13年前、兄のパウより先に自分がレイカーズの一員となった。2007年、スペインのチーム、CBジローナに所属していたときに、NBAドラフト2巡目全体48位でレイカーズに指名されたのだ。 「ドラフトの次の日に、ミッチ(カプチャック。当時のレイカーズGM)から歓迎の電話があった。あれは、確かパウと一緒にランチを食べていたときだった」と、当時を振り返る。 即戦力としてすぐにレイカーズへの加入を求められているわけではないことはわかっていた。その翌シーズンもジローナでプレイしていたところ、シーズン半ばに、当時メンフィス・グリズリーズにいたパウとの兄弟トレードが成立。パウがレイカーズに移籍し、マルクは2008年秋からメンフィスでNBAキャリアをスタートさせた。その後、パウはレイカーズで6シーズン半過ごす間に2度の優勝を果たし、マルクは高校時代を過ごしたメンフィスのチームでオールスターセンターに成長した。 「あれはみんなにとってうまくいったトレードだったと思う」とマルク。当時グリズリーズにトレードされたことに対して、まったくマイナスの感情はない。 むしろ、兄がいたことでレイカーズは馴染みあるチームだった。 「兄がいたとき、ファイナルも現地で見た。ボストンで負けたとき(NBAファイナル2008)も、ステイプルズ・センターで優勝したとき(NBAファイナル2009)も見に行っていた。チームの運営に携わる人たちも知るようになり、選手を大切にするチームだということがわかった。レイカーズはNBAの多くのチームにとってお手本のようなチームだ」

ザ・フォーラムで撮った父との写真

マシューズの場合は、父がレイカーズにいた時のことは、1枚の古い写真の中の出来事だった。 1986年の秋、サンアントニオ・スパーズのトレーニングキャンプからカットされた父は、その直後にレイカーズからのオファーを受けて契約。契約書にサインしたのが10月14日、まさにマシューズが生まれた日だったのだ。 「つい最近、父からのメッセージで、自分が生まれた日にレイカーズとの契約にサインしたという話を教えてもらった」とマシューズ。 父はレイカーズに2シーズン所属して、2回とも優勝している。その頃の記憶はまったくないが、当時レイカーズのホームコートだったザ・フォーラムのフロアで、試合前の父と撮った写真がある。レイカーズのウォームアップを着た父と、デニムの上下を着て、父から渡されたボールを手にする自分。今でも持っているその写真に、当時の時間が閉じ込められていた。 その後、父と母は別れ、マシューズは父をほとんど知らないままに育った。大人になり、NBAに入って、さらに自分も父親になったことで、今は少しずつ父との関係も復活して新たな関係を築いてきているという。

両親の離婚以降、父とは疎遠になっていたマシューズ。しかし最近では再び付き合いが増えているという

「あの写真のなかの僕は、今のうちの娘より少し小さい頃だった。そう考えると、すべてが一周まわって戻ってきたような、そんな気分になる。こんな物語を書くことができるのは神様ぐらいだと思う。そして、その物語はまだ終わりではないんだ」 父がいた当時のレイカーズのことは覚えていなくても、子どものころからレイカーズは好きなチームのひとつだった。 「レイカーズとブルズが昔から好きだった。一番好きな選手はエディ・ジョーンズ(1994~99年レイカーズ所属)だった。だから、僕のなかにレイカーズのルーツはかなり深く根付いているんだ」

マルクが入団を決めたレイカーズのメンタリティ

マルクは2018-19シーズンにトロント・ラプターズで頂点に立っているが、1回の優勝で満足はしていない。 「レイカーズに決めた理由はいくつかあるけれど、結局のところは、また優勝するチャンスがあるということ、そしてチームに貢献できるということだった。偉大なチームの一員であるという意識。そして、コーチからGMまで、みんなから自分がチームに貢献できると思ってもらえているということは大きかった。 レイカーズはすでにチャンピオンのメンタリティを持っているチームだ。それに、彼らも1回で終わりという意識はない。みんな、もっと優勝したいとハングリーな気持ちを持っている」 初めてのNBA優勝を目指すマシューズは、レイカーズのユニフォームを着て戦うのが楽しみでしかたないと語る。 「家族の繋がりもあるし、レイカーズの組織としての伝統、それにスタイル的に自分が合うということを考えると、この機会を与えられたことがとても嬉しい。(レイカーズにとって)18枚目の優勝バナーを掲げる機会があることが嬉しい」 運命の巡り合わせで、家族の過去と自分の現在が隣り合わせになった2人。今度は自分たちの手でレイカーズの歴史を刻み始める。


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宮地陽子:ロサンゼルス近郊在住のスポーツライター。『Number』、『NBA JAPAN』、『DUNK SHOOT』、『AKATSUKI FIVE plus+』など、日本の各メディアにNBAやバスケットボールの記事を寄稿している。NBAオールスターやアウォードのメディア投票に参加実績も。

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