その男の出現は、事件だった。 ストリートの雰囲気をまとい、小柄な体ながら高いスキルで相手を翻弄する。身長差をものともしない、熱いハート。“ジ・アンサー”、アレン・アイバーソン。 アイバーソンは1975年、バージニア州ハンプトンに生まれた。まだ若い母親と2人の妹とともに、幼少時代は貧しい生活を送っていた。そんな中、高校時代にはずば抜けた身体能力と特徴的な長い腕を武器に、バスケットボールとアメリカンフットボール、ふたつの競技で才能を爆発させる。それぞれの競技でチームを州のチャンピオンに導き、スタープレイヤーとして名を馳せた。当時は全米中の大学からスカウトが集まり、卒業後はスポーツの名門校への進学も、ほぼ決まっていたという。 しかし、ここでアイバーソンはどん底に突き落とされる。 地元のボウリング場で白人グループと黒人グループの乱闘事件に巻き込まれ、逮捕。アイバーソンは乱闘に加わっていないと主張するも、懲役15年という重い有罪判決が下された。その後、あまりにも不十分な捜査に裁判がやり直され、およそ4か月後に釈放。しかし、進学の話も白紙になり、アイバーソンは最悪の状況に陥った。 その窮地を救ってくれたのが、ジョージタウン大学のコーチ、ジョン・トンプソンだった。 恩師の期待に応えるかのよう、アイバーソンはカレッジバスケ界を席巻。2年連続で最優秀守備選手賞を獲得し、オール・アメリカンにも選出されるなど、ずば抜けた才能を発揮した。
そんな中、アイバーソンはある決断をする。難病を抱える妹と、家計を助けるため、NBAへのアーリーエントリーを表明。そして1996年、フィラデルフィア・セブンティシクサーズから、ドラフト1巡目1位で指名を受けた。同期にレイ・アレンやコービー・ブライアントといったそうそうたるメンバーが名を連ねる中、183cmのアイバーソンは「史上最も小さいドラフト1位指名選手」として大きな期待と話題を集めた。 シーズンが始まると、その期待を上回る活躍をコートで見せる。 類い稀な運動能力と長いウィングスパン。さらに卓越したテクニックでボールを操り、相手を翻弄。アイバーソンの代名詞と言えるのが、長い手から繰り出されるクロスオーバーだ。来るとわかっていても、振り幅と鋭さにマークマンは対応することが出来ない。 アイバーソンのクロスオーバーが更に注目されたのが、マイケル・ジョーダンとの対決だ。神でさえ止められない鋭さ。そして相手が誰であっても決して怯むこと無く向かっていく。そのハートの強さもアイバーソンの強力な武器なのだ。結局、ルーキーイヤーは平均23.5得点、7.5アシスト、2.1スティールを記録。さらに、5試合連続で40得点以上マークするなど大活躍を見せ、新人王を獲得する。 当初は、その身長でNBAに通用するのか、と疑問の声もあがっていたが、見事にそれを跳ね返す「答え」をプレイで見せつけたアイバーソン。そんな彼に2000-01シーズン、大きなチャンスが巡ってくる。