こんにちは。竹内譲次です。7月末からチーム練習が再開し、シーズン開幕に向けて本格的な活動がスタートしました(注1)。個人的なコンディションは上々です。今オフはシーズンが早く終わり、代表活動もなかったので、体をしっかり休めた上でじっくりと準備ができたのはよかったですね。緊急事態宣言が解除されてからは、クロスフィットトレーナーのAYAさんにトレーニングをお願いするなど、例年ならできないようなこともやってみました。
35歳という年齢や体を張るポジションということもあり、コンディション維持にはかなり気を遣っているほうだと思います。日頃から栄養学やトレーニング方法を自分なりに勉強して、毎年オフに計画を立てて実践し、どのような効果があるかを試していますが、まだ「これがベストだ!」というものは出会えていないんです。去年は炭水化物を減らす「ケトジェニック」という食事法を取り入れて体脂肪を減らしてみたんですが、体重もかなり落ちてしまったので、僕にはあまり向いていなかったかも……。今年はクロスフィットトレーニングを軸に、体重や筋力を落とすことなく動ける体を作れたらいいなと思っています。
長くキャプテンを務めた正中岳城の引退を受けて、アルバルクは安藤誓哉が新キャプテンとなりました。誓哉は年上とも年下とも外国籍選手とも上手にコミュニケーションがとれる、リーグ全体を見回してもなかなか稀有な存在。レンタル期間も含めて在籍4年目の28歳。キャリア的にも人材的にも、誓哉のキャプテン就任はベストな選択だったんじゃないかと思います。
みなさんから見た誓哉は、ちょっとクールというかとっつきにくいイメージがあるかもしれませんが、ああ見えて案外年下の面倒見がいいタイプ。以前は、馬場(雄大=現メルボルン・ユナイテッド)や斎藤(拓実=現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)をかわいがっていました。2人がチームを離れたときはちょっと寂しそうでしたが、今は津山(尚大)を従えて楽しそうにやってますよ(笑)。
10月に開幕予定のBリーグ2020-21シーズンは、非常に難しい戦いになることが予想されます。試合の実施可否がティップオフ直前になってみないとわからない……そのような状況でのプレーは選手としてとても難しいことではあります。ただ、ヘッドコーチのルカ・パヴィチェヴィッチのポリシーは「試合があるという前提で100パーセントの準備をせよ」。僕らもルカの信念に従い、強い気持ちを持って戦っていかなければなりません。 外国籍選手の試合エントリー数が増える今季は、個人的にも、これまで以上にタフなシーズンになると考えています。その中でいかにコンディションを維持し、質の高いプレーを見せられるか。僕にとっても大きなチャレンジとなる今季の戦いぶりを、ぜひ多くの方に温かく見守っていただけたらうれしいです。
代表活動のない今オフは、小学3年生の息子と2歳の娘の父でもある僕にとって、久しぶりに子どもたちとゆっくり過ごせたオフになりました。とはいってもなかなか外出できなかったので、餃子やパンケーキを一緒に作ったり、勉強を見てあげたり、おもちゃのリングでバスケをしたり、家で過ごすことが多かったですね。息子がロングシュートばかり打つのを見て、「もうちょっとレイアップに行け」なんて言ったりもしました(笑)。
アルバルクは練習時間がかなり長いので(帰宅は21時~22時です)、シーズン中の育児はほぼ妻に任せることになりますが、それでも父として締めるところは締めます。気を付けているのは、“怒る”のではなく“叱る”こと。あくまで子どもたちを主体にして、大切なことを伝えるように心がけてはいるものの、どうしても怒ってしまって反省することも。子どもを通して自分も成長させてもらっています。
そうそう、自粛期間中に、約20年越しにチャレンジしてみたことがあります。それはピアノです。ピアノ教室に通う息子が、発表会を前にしてもどうもやる気にならないので、僕も小学生のころに2年やっていた経験を生かして課題曲を練習してみたんです。そうしたら、息子よりもうまく弾けるようになっちゃいました(笑)。息子は相当悔しかったようで、がぜん練習をがんばるようになり、今では完璧。当時は嫌で仕方がなかった僕も、久しぶりに弾いてみたらすごく楽しかったので、また新しい曲にチャレンジしようかなと思っているところです。
さて、そろそろNBAの話に移りましょうか。 僕がNBAと出会ったのは中学生のころ。同級生に1997-98シーズンのNBAファイナル第6戦のビデオを見せてもらったのがきっかけでした。 98年のファイナルと言えば、シカゴ・ブルズとユタ・ジャズが死闘を繰り広げた名シリーズ。その中でも第6戦は、マイケル・ジョーダンが劇的なシュートを決めて、ブルズがNBAチャンピオンに輝いた伝説の一戦でした。当時の僕はそんなことをまったく知らず、ブルズでなくジャズが勝つと思っていたので(実際にリードしていましたし)、最後にジョーダンがシュートを決めて、ブルズが優勝を決めたときは「なんでやねん」って思いました(笑)。 その映像を見て僕が憧れたのは、スーパープレーを連発するジョーダンでなく、ジャズのパワーフォワードのカール・マローン。ポジションも近いし、技の多彩さやミドルシュートの確実さを見て、すごいなと思っていました。その後はちょこちょこ衛星放送でNBAを見るようになったんですが、やっぱり推しはジャズとマローン。そのうち、1999年のNBAジャパンゲームに出場したケビン・ガーネット(当時ミネソタ・ティンバーウルブズ)、同い年のレブロン・ジェームズ(ロサンジェルス・レイカーズ)へと興味が移っていきました。レブロンはプレーというよりも、35歳になってもNBAの第一線でプレーしていることへの尊敬の念が強いです。
ガーネットについては、ちょっとしたエピソードがあるんです。僕は洛南高校(京都)3年生のときにウインターカップで優勝したんですが、その副賞の1つとして、ガーネットのサイン入りジャージーが1着もらえたんです。僕はそれがどうしても欲しくて、その晩の祝勝会で監督に思い切って「ください」とお願いしたんですが……。さすがに1着しかないものを1人に与えるのは不公平だと断られたんです。 ところが、そこから15年後くらいのOB会のときに監督に「お前、ガーネットのジャージーを欲しがってたやろ? あれ、やるわ」と言われて、数日後に本当に送られてきたのでびっくりしました。憧れの選手のジャージーをもらえたことも、僕自身も忘れていたようなことを監督が覚えてくださっていたことも、両方を含めて嬉しい思い出です。
僕は2008年から10年の3年間、NBAに挑戦していた時期がありました。1年目は空気を吸うようなイメージで、2年目はサマーリーグのトライアウトに参加。3年目も同様にドラフト候補生と一緒にプレーしました。 特に印象深かったのは2年目ですね。ジョー・アレクサンダー(現イスラエルリーグ)というドラフト全体8位でミルウォーキー・バックスに指名された選手とマンツーマンで練習したんですが、初日は正直まったく歯が立たなくて「自分が目指しているレベルはこんなところなんだ……」と絶望に近い心境になりました。ただ、それでも何日も練習を続けて慣れていくと、なんだかんだ少しずつプレーできるようになっていくんですよね。試行錯誤しながら自分が勝負できるポイントを見出す方法を学びました。3年目は全体4位でティンバーウルブズに入ったウェスリー・ジョンソン(FA)や、2012年のスラムダンク・コンテストで優勝したジェレミー・エバンス(FA)と1か月以上練習して、これもいい経験になりました。
通訳はつけず、生活も行動もほぼ1人。電話でレンタカーの延長手続きをするのも一苦労でしたけど、日本では経験できなかったタフな経験をたくさん重ねたことで、自分の中のスタンダードが上がるのを強く実感しました。今は、(八村)塁や(渡邊)雄太を筆頭に、早い時期から海外挑戦する選手が増えてきましたが、若い世代は「上には上がいる」ということを早く知るのはとても大切。日本にいてもしょせん井の中の蛙ですから、高い壁を感じられる環境にどんどん飛び込んで、それを乗り越えていってほしいですね。 (構成:青木美帆)
※注1:アルバルク東京では8月14日(金)に、選手3名から新型コロナウイルス陽性反応が出ました。当原稿はそれ以前のインタビューをもとに構成されたものです。
竹内 譲次 生年月日1985年1月29日、身長:207㎝、体重:98㎏ 大阪府出身。大学生の時に日本代表入りすると2006年に日本で開催された世界選手権、そして昨年中国で開催されたワールドカップに出場。経験豊富なビッグマンとしてチームを支え、今シーズンはBリーグ3連覇に挑む!