ゴールデンステイト・ウォリアーズのステフィン・カリーは歴代3位の通算3ポイント成功数(2495本)、同6位の通算3ポイント成功率(43.5%)、シーズン最多3ポイント成功記録(402本/2015-16シーズン)を誇る当代随一のシューターだ。その高精度の長距離砲はたゆまぬ努力の結晶だと、今季限りでの現役引退を表明したビンス・カーターは証言している。 ステフィン・カリーは1994年に最優秀シックスマンに輝いたデル・カリーを父に持ち、2歳年下の弟セスもNBA選手(ダラス・マーベリックス所属)というバスケットボール一家に生まれた。
カーターは1999-2000シーズンから3年間、父親デルとトロント・ラプターズで共闘したが、当時11歳のステフィン・カリーの技術と向上心に感嘆したという。『TNT』でキャスターを務めるアーニー・ジョンソン氏との対談で明かした。 「毎日ステフはボールを持って、サイドラインにいたんだ。(弟の)セスを含めて2人はバスケットが大好きで練習の虫。いつも揃ってシュート練習をしていて、ステフはすでに良いフォロースルーを見せていた。もうNBA選手になる運命なんだと思ったよ。もちろん、父親が優秀なシューターだったから、息子がNBA入りするだろうと予想はついたけどね」 カーターはホームゲームの前に練習を終えると、ステフィン・カリーとよく1対1をしていたという。1999-2000シーズンはちょうど、カーターがスラムダンクコンテストで華々しく優勝を飾り、スターダムを駆け上がった年。NBAを代表するスターとの対戦は、ステフィン・カリーにとって貴重な経験になったことは想像に難くない。実際、大きな成長を遂げていったとカーターは振り返る。 「ステフは自分よりも大きい選手、年上の選手を相手にどうやってショットを放っていくかを学んでいったと思う。そこでクイックリリースができるように励んだんだ。NBAでショットを決めるには、どれだけ素早く放つことができるかが重要になってくるからね」