新品のレンズを調達して臨んだ、”憧れの人”マイケル・ジョーダンの撮影【大井成義コラム vol.3】

「ぎりぎり間に合った……」。真っ先に頭に浮かんだのは、そんな思いだった。憧れていたマイケル・ジョーダンの撮影依頼。夢にまで見た仕事が、引退まで残り1か月、ラスト16試合という土壇場のタイミングで舞い込んできた。 その3か月前の2002年11月28日、ジョーダンは2002-03シーズン限りでの引退を表明した。これが本当に最後の、3度目にして正真正銘の現役引退。記者からの質問に、「復帰の可能性はゼロ」とまで言い切っている。 2002-03シーズン、ウィザーズは大方の予想通り開幕からパッとせず、引退発表時点の成績は6勝8敗。バスケットボールの神様と言えども、翌年2月に不惑を迎える満身創痍のベテラン選手にできることは限られており、プレイオフ進出は正直厳しいと思われていた。

現役最終年、マイケル・ジョーダンはワシントン・ウィザーズでプレイしていた

ケガで欠場することなく全試合に出場したとして、残された試合数は最大で68試合+オールスターゲーム。それで見納めである。全盛期のプレイからは程遠いとはいえ、不世出の天才バスケットボールプレイヤーの勇姿をできるだけ多く目に焼き付けておきたい、そう思ったファンは多かっただろうし、もちろん僕もその一人だった。 それがまさか、引退直前に本人を撮影することができるとは――。まさしく僥倖以外の何物でもなかった。

大手メディアや有名媒体でも難しかった一対一の撮影

渡米を決意した大きな理由のひとつに、ジョーダンのプレイをより多く見たいから、というものがあった。ところが、1993年9月にアメリカへ渡ってちょうど1か月後、ジョーダンは突如引退を表明する。あまりのショックに本気で寝込んだほどだ。それでもその1年半後、"I'm back" の名台詞とともに、神はコートに舞い戻ってくる。あの時の興奮は今でも忘れられない。 ジョーダン復帰後、ニューヨークのケーブルテレビで観られたジョーダンの出場試合は、ほぼすべて観たと思う。ジョーダンの所属チーム(ブルズとウィザーズ)対ニックスおよびネッツ戦が、4試合×2チームで1シーズン8試合。それに、ジョーダンの所属チームが全国放送された時と、プレイオフ全試合。トータルすると、ブルズ時代で1シーズン35~40試合、ウィザーズ時代で十数試合程度だろうか。

1995年、当時MLBに挑戦していたジョーダンだったが、「I'm back」のメッセージとともにNBAへ電撃復帰を果たした(C)NBAE/GETTY IMAGES

アートカレッジを卒業し、フリーランスのフォトグラファーとして活動を始めて数年経った頃、日本のスポーツ関連の雑誌から仕事をいただくという幸運に恵まれた。スポーツ写真のスペシャリストではなかったものの、ジョーダンのプレイ写真を2度ほど撮ることができ、叶わぬ夢とは知りつつも、いつの日かジョーダンのポートレイト写真が撮れたら本望だと思っていた。 バスケットボールの世界のみならず、地球上で最も有名なアスリートであるジョーダンのポートレイト写真は、ファンでなくとも人物を撮るフォトグラファーなら誰しも一度は撮影してみたいことだろう。だが、現役時代は世界中から取材のオファーが殺到しており、メディアへの露出は厳格にコントロールされ、とりわけ一対一の撮影は現地の大手メディアや有名媒体でも難しいとされていた。

ジョーダンを撮るには新品のレンズでなければ

その貴重なチャンスが、引退間際のぎりぎり最後に巡ってきたのである。仕事の依頼があったのは、『Sports Graphic Number』からだった。取材は、3月後半に開催されるホームゲームの数時間前、MCIセンター(現キャピタルワン・アリーナ)内の練習施設そばで行われた。インタビュアーは、アメリカ在住で長らくジョーダンを追いかけているNBAライターのM氏。 掲載予定のカットは、インタビュー写真とポートレイト写真、それに試合でのプレイ写真で、ポートレイトは撮影が確約されていたわけではなかったが、インタビューの後に目線アリのものをごく短時間でいいので撮らせてもらうべくチャレンジする、そんな流れだった。使用カメラとフィルムは、プレイ写真も含めて、相も変わらず中判のペンタックス6×7にカラーとモノクロのネガ。 この日のインタビュー写真に備えて、レンズを1本新調した。現場の状況によりジョーダンに近寄れなかった場合を想定し、中望遠のレンズを、それも新品で購入。機材にさほどこだわりはなく、品質さえ問題なければもっぱら安い中古品を購入するのだが、ジョーダンを撮るには新品のレンズでなければならない、決して間違いがあってはいけない、そうその時は強く思ったのだ。画質的な違いはほぼ皆無であるにも関わらず。今思うに、とにかく必要以上に気合が入っていたのだろう。

あとはシャッターを押すだけ、だったが…

ストロボの簡単なセッティングを済ませ、高まる興奮を抑えながら待っていると、約束の時間にジョーダンが関係者とともにやってきた。ジョーダンは映画監督の小津安二郎が愛用したピケ帽のような、かわいいと言うか少々脱力系の帽子を頭に載せ、紺色のゆったりとしたトレーナーに身を包んでいる。M氏とは旧知の間柄であり、リラックスした雰囲気の中、すぐさまインタビューが始まった。 インタビューカットを撮りながら、得も言えぬ不思議な感覚に襲われた。すぐ目の前で、それまで何千何万回と写真や映像で見てきたジョーダンが喋っている。時にはシリアスな表情で、時には笑顔を見せて。これは果たして現実なのだろうか。仕事である以上、感情は一切表に出さないよう務めたが、頭の中では諸種の感情がもの凄いスピードで交差していた。

リラックスした雰囲気の中行なわれた取材で、様々な表情を見せたジョーダン

一通りインタビューカットを撮り終えた後、ストロボの露出を再確認してライティングの最終チェック。あとはインタビュー終了後そこに立ってもらい、シャッターを押すだけである。インタビューが終えるのを、腕時計をチラ見しながら待っていた。ところが……。 結論から書くと、一対一の目線アリのポートレイト写真は撮れなかった。1枚も撮らせてもらえず、取材は終了した。時間の問題や、撮影に関する認識の相違など、いくつかの要因が考えられるものの、それらを一旦脇に置いといてその場のノリで1枚、というわけにもいかなかった。 すぐ手の届くところまでたどり着きながら、最後の最後に手に入れることはできなかった。弱小チームが奇跡的に勝ち進むも、NBAファイナル第7戦のラストプレイで逆転シュートを外して敗北、そんな感じだろうか。準優勝でも凄いじゃないか、そう言ってくれる人もいる。けれど、そう簡単に割り切れるものでもない。10秒、いや5秒もらえれば、渾身の1枚を撮れたかと思うと……。 あまりの無念さに頭の回路がショートしてしまったのか、撮影以外の記憶はところどころ完全に抜け落ちている。ジョーダンとどんな挨拶を交わしたのか、握手をしたかどうかさえもまったく覚えていない。

『The Last Dance』で描かれた姿とは対照的な1枚

今年の4月から5月にかけて、ジョーダンズ・ブルズの最終シーズンを密着取材した映像と、それまでのキャリアを追った全10話の大型ドキュメンタリー『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン:ラストダンス』)が放映され、世界中で話題となった。プロ入り直後のうぶなジョーダンから、全盛期のまるでジャイアンのようなジョーダン、そしてインタビューで過去を振り返る、白目の濁りも手伝って一段と凄味の増した57歳のジョーダンまで様々な表情を見ることができ、内容もすこぶる興味深かった。 『Number』のメインカットには、最終的に後ろ姿のモノクロカットが採用された。今回17年ぶりに掲載誌を見返してみて、ちょこんと被った帽子がなかなかいい味を出しており、この後ろ姿のジョーダンも悪くないなあ、などと手前味噌ながら思った次第だ。 取材に同行した『Number』担当編集者のG氏に、メールで取材時の細かい点を確認した際、返信にあった「あの時は帽子を被ったままのインタビューカットだけでどうしよう、と慌てましたが、今こうして時が経ってみると、逆にあの状況でないと撮れなかったジョーダンが写っているような気がします。あの時のジョーダンが、飾らないままにそのまま写っているわけですから」という言葉が、やけに嬉しかった。 引退を目前に控え、なんとなく物寂しく、どこか達観しているかのような、静かな空気を漂わせているジョーダン。あの『The Last Dance』で描かれていた、闘争心むき出しの阿修羅のようなジョーダンとは対極的である。同じなのは、『Number』に掲載された写真も、『The Last Dance』の第1話も、オープニングが後ろ姿のジョーダンから始まっている点だ。ほんの些細な偶然に過ぎないが、ジョーダンマニアとして悪い気はしない。

『Number』で採用されたメインカット。後姿のジョーダンが印象的だ

1993年、ジョーダンのプレイをもっと見たくてアメリカに渡った。それからちょうど10年後、引退直前のジョーダンを撮影するという、夢のような機会を得た。思い描いていた1枚こそ撮れなかったけれど、でもまだ終わったわけではない。ジョーダンの有名な言葉に、こんなのがある。 “時には上手くいかないこともあるが、それでも毎晩努力し続けなければならない。” 言うまでもなく、あのジョーダンにだって上手くいかないことがあるのだ。またいつか、次はおじいちゃんになったジョーダンのポートレイト写真を撮れる日が訪れるかもしれない。その日が来るのを再び夢見ながら、もうひと頑張りするとしよう。 写真オリジナル掲載:Sports Graphic Number 573 / 2003年4月17日号

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大井成義:フォトグラファー兼ライター。1993年渡米、School of Visual Arts New York卒業。ポートレイトを中心にトラベルやスポーツ関連の写真を撮影する傍ら、国内外で個展を開催。ライターとしては、2000年代前半に『DUNK SHOOT』誌で「月刊ニックス」を連載、以来同誌にてコラムを執筆している。現在日本在住。

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