初恋【大柴壮平コラム vol.17】

NBAに人と人との物語があることを知った瞬間

昨今はSNSの発達によって、選手をより身近に感じることができるようになった。もちろん先週取り上げたケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)のように、ファンが見たくなかった姿を晒してしまうこともあるが、一方でSNSを上手く活用する選手も大勢いる。今回紹介したいのは、そんなSNSから誕生した小さな奇跡の物語である。 私には“ケリー”というハンドルネームで呼んでいる友人がいる。ケリーは大のマシュー・デラベドーバ(クリーブランド・キャバリアーズ)ファンで、ハンドルネームもデラベドーバの愛称デリーと自身のイニシャルである「K」を混ぜたものだ。高校3年生まで部活でバスケをしていたが、燃え尽きてその後しばらく離れた。29歳になった今、再び気の合う仲間とバスケをしている。高校ではSFだったが、179cm、80kgという体格から今の仲間内では大きい部類に入るため、最近はPFをやることが多い。言ってしまえば、どこにでもいる元バスケ少年である。 現役当時のケリーは、あまりNBAを観ていなかったと言う。NBAは“身体能力に恵まれた人たちの集まり”というイメージで、自分の参考にはならないと思っていたそうである。そんなケリーがまともにNBAを観はじめたのは、大学を卒業してからだった。友人たちが社会に出る中、ケリーは修士に進んだ。暇な時間ができても、つるむ仲間がいない。そんな時に、たまたまコービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)ファンの弟が観ていた試合に引き込まれた。2012年のイースタン・カンファレンス決勝、敗れたボストン・セルティックスのケビン・ガーネットとドック・リバースHCが熱く抱擁を交わす。超人たちのスポーツというイメージだったNBAに、人と人との物語があることを知った瞬間だった。 翌シーズンからNBAを追いはじめたケリーだったが、実はすぐにデラベドーバのファンになったわけではない。初めて観たデラベドーバの印象は「明らかにダメ」「いつの間にか消えてそう」というものだった。しかし、それからしばらく経った2015年のプレイオフのこと。過度な接触でコーバーに怪我を負わせてしまったプレイ、そしてファイナルでのステフィン・カリーへの素晴らしいディフェンスと、良きにつけ悪しきにつけその年デラベドーバは話題となった。ケリーは、あのダメそうだったガードがまだNBAで頑張っていることに驚いた。

応援したい一心で始めたイラストに、デラベドーバ本人のいいねが付いた

ファンになった理由は偶然に因るところも大きい、とケリーは言う。デラベドーバのことが気になり出したタイミングと、彼が活躍し出すタイミングが重なっていた。前述のファイナルの翌年、キャブズが初優勝を果たす。そしてそのオフ、オーストラリア代表としてリオ五輪に参加したデラベドーバは、チームの主力としてベスト4進出に大きく貢献した。リオ五輪で観たデラベドーバは、NBAでのイメージより遥かに上手かった。しかしそれは一方で、頑張れば真似できそうな部類の上手さだったことも印象的だった。 リオ五輪を観て、デラベドーバがどこまでNBAで活躍できるか見届けたいと思ったケリーは、2016-17シーズンからリーグパスに加入する。このシーズンは、デラベドーバにとっても勝負の年だった。2016年7月、キャブズでの活躍が認められたデラベドーバは、4年3800万ドル(1ドル110円計算で41億8000万円)という大型契約でミルウォーキー・バックスに移籍したのである。 ケリーは、リーグパスに入ると同時にNBA情報を収集するためのツイッターアカウントを作った。そこで知ったのが、イラストを描くという行為で大好きなチームを応援するファンの存在である。感化されたケリーは、早速イラストの練習を始めた。そして、納得できるイラストが描けると、ツイッターとインスタにアップして本人をタグ付けするようになった。はじめは応援したいという一心で始めたイラストだったが、応援を始めて2シーズン目のある日、デラベドーバ本人からいいねボタンが押された。

SNSで発信しているケリー氏のイラスト

初めて会ったデラベドーバは、優しかった

2018年3月、ケリーはレイカーズファンの弟を誘い、レイカーズ対バックスの試合をロサンゼルスで観戦した。表にはデラベドーバのイラスト、裏にはオーストラリアを模したデリーのロゴを描いたボードを持参し、サインをもらうことに成功する。インスタで、会えて嬉しかった旨を投稿すると、またデラベドーバからいいねが付いた。 それから3ヶ月後、今度はオーストラリア代表としてデラベドーバが日本にやってきた。千葉ポートアリーナで日本との代表戦を観たあと、インターネットの情報を頼りにオーストラリア代表が泊まるホテルに当たりをつけたケリーは、デラベドーバに会えることを祈ってロビーで待った。この時のことを、ケリーは後悔していると言う。敗戦で気落ちしているのに、無神経にホテルまで押しかけてしまったと。しかし、ロビーでケリーを見たデラベドーバは、向こうから笑顔でケリーに話しかけてくれた。ツーショットを撮り、サインも書いてくれた。後日、ケリーがホテルに押しかけたことをDMで謝罪すると、デラベドーバから「いつも応援ありがとう」と返信が返ってきた。デラベドーバからDMが来たのは、初めてのことだった。 それからケリーは、たまにデラベドーバとDMでやり取りする仲になった。やり取りといっても短文を交わすだけだったが、その夏のある日、長文が届いた。いつも応援してくれているので、シグネチャーシューズのデリー1を送るという内容だった。3週間後に届いたデリー1は真っ白だった。嬉しくて、その夏はデリー1を履いて沢山バスケをした。2019年2月、ケリーはデラベドーバに会いに再び渡米した。ブーデンフォルツァーがヘッドコーチに就任して以来バックスを干されていたデラベドーバは、古巣のキャバリアーズに出戻りしていた。試合は、デラベドーバの活躍でキャブズが勝利した。デラベドーバは、ケリーのために時間を設けてくれた。ケリーは、制作中の伝記映画の話や、まだ出ぬデリー2の話を聞いた。デラベドーバは映画が頓挫したことを教えてくれた。そして、デリー2のデザイン案を見せてくれた。

(左)2018年、日本対オーストラリア戦でデラベドーバを応援するケリー氏/(右)ケリー氏に贈られた『デリー1』

デラベドーバが教えてくれたこと

デラベドーバと出会って、ケリーは自分のプレイスタイルが変わったと言う。デラベドーバは必ずしも全てを与えられた選手ではない。ドライブが早いわけでもなければ、シュートが入るわけでもない。しかし、2線を頑張る、ルーズボールを諦めない、シュートチェックに必ずいくなど、アマチュアが見習うべき点が多々ある。スターではないが、NBAの10分を埋めるために必死に頑張っている選手たち。ケリーは今、デラベドーバを筆頭とした彼らを手本に自分のプレイを見つめ直している。 ケリーが変わった点は、バスケにとどまらない。先日、オーストラリアで大規模な山火事が発生した。自分も何か力になれないかと悩んでいる時に、元キャブズのアスレチック・トレーナーで、デラベドーバとも親交のある中山佑介さんのツイートが目に留まった。NBA選手によるオーストラリア赤十字への募金活動を周知する内容で、リツイートをしてくれた人の中から抽選で、非売品のNBAロゴ入りバッグをプレゼントするという。これに共感したケリーは、自身も同じキャンペーンを打った。NBAロゴ入りバッグの代わりに、デラベドーバのオーストラリア代表ユニフォームをプレゼントした。以前の自分なら、静かに一人で募金するだけで終わっていたはずだった。しかし、大好きな選手の愛する場所を守りたいという気持ちが、自分に大きな一歩を踏み出させた。そのツイートは、100リツイートを超えた。 「そう言えば、デラベドーバに会えて良かったなと思ったことがもう1つあります」と、ケリーは付け加えた。デラベドーバ本人に会う前、ケリーは過度に期待してはいけないと自分に言い聞かせていたと言う。自分が好きな選手は、いい人であって欲しいと思うのが人情である。ただし、それをファンの方から押し付けることは危険だとケリーは感じていた。しかし、その心配は杞憂だった。実際にデラベドーバの実直な人柄に触れた時、この人のことを心の底から応援していいんだなと思えた。それが嬉しかった。 「デラベドーバが引退して、また次に好きになる人ができたとしても、似たような人なんだろうなと思いました」 ケリーはそう言うと、照れくさそうに笑った。

大柴壮平:ロングインタビュー中心のバスケ本シリーズ『ダブドリ』の編集長。『ダブドリ』にアリーナ周りのディープスポットを探すコラム『ダブドリ探検隊』を連載する他、『スポーツナビ』や『FLY MAGAZINE』でも執筆している。YouTube『Basketball Diner』、ポッドキャスト『Mark Tonight NTR』に出演中。

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