2002年6月26日、ヤオ・ミンが1巡目1位でヒューストン・ロケッツに指名された。アメリカの高校、もしくは大学でのプレー経験を持たない選手が全体1位指名を受けたのは史上初のことだった。両親共にバスケットボール選手という家庭で育ったヤオは9歳でバスケットボールを始め、17歳でプロデビューした。ドラフト前の2001-02シーズンには20歳にしてCBA(中国プロバスケットボールリーグ)のMVPを受賞している。 ルーキー・イヤーからオールスターに選ばれたが、当初は1位指名としては期待外れという声もささやかれていた。しかし229cmの長身と高い技術を持ったヤオは徐々にリーグに適応すると、2006-07シーズンにはキャリアハイの平均25.0点を記録。2008-09シーズンにはキャリア初となるプレーオフ一回戦突破、チームをカンファレンス・セミファイナルに導いた。相棒のトレイシー・マグレディと共に怪我が多く、チームが本来の実力を発揮することはなかったが、それでもNBA史上最高のアジア人選手であることは明らかだ。 そんなヤオ・ミンは今年地元中国で行われるワールドカップで、コービー・ブライアントやダーク・ノビツキーと共にグローバル・アンバサダーに選ばれた。引退した現在も中国バスケットボール界の顔として活躍している。