NBAドラフト前日の合同記者会見での八村塁のコメントについてAP通信が報じた。 八村は、『SLAM DUNK』の漫画とアニメの大ファンだった。八村は、『SLAM DUNK』が完結して2年後の1996年に富山県で生まれたが、その作品から多大な影響を受けた。 奥田中学で八村のコーチをしていたサカモト・ジョージ氏は、最初の練習で八村を見て、彼がNBAに行くと確信したそうだ。 八村は、サカモト氏の言葉を思い出して、こう語った。 「彼は私を指差して『君はNBAに行く』と言ったんです。その当時、私は馬鹿正直だったので、彼の言葉を信じました。それに、彼は本気でした。だから、私は彼を信じたんです。そして、私は本当にこの場所にやって来ました。これはクレイジーなことです」 13歳でサカモト氏に出会うまで、八村はバスケットボールをしたことがなかった。サカモト氏も、『SLAM DUNK』がきっかけでバスケットボールの世界に入った1人だ。 コーネル大学の博士号過程のデクスター・トーマス氏は、日本の文化について書いた『Vice News Tonight』の中で「日本における最初のバスケットボール・ブームは『SLAM DUNK』によって火がついた。もし八村塁がNBAで成功すれば、日本のバスケットボール・ブームは次の段階に進むだろう」とコメントしている。 しかし、日本のバスケットボール人気はさほど高くない。だからこそ、八村の成功が、2020年の東京オリンピックへと続く非常に大きな火種になるはずだ。 ゴンザガ大で八村とチームメイトだったブランドン・クラークは「彼は日本にとって大きな存在だ。彼は日本のために多くの功績を残している。彼はきっとドラフトの上位で指名されるだろう。それは日本にとって非常に大きなことだ」と語っている。 八村は、ベナン人の父と日本人の母の子として生まれた。八村は、幼少期に差別を受けたことを認めているが、日本人が差別主義者だという認識は間違っていると語っている。八村は、自分が『blackanese(黒人の日本人)』たちのお手本になることを望んでいる。 「自分のようなハーフや混血の子供たちが日本には沢山いるし、彼らは非常に素晴らしいアスリートばかりだ。(私がNBAでプレーすることは)彼らにとっても良いことだと思う」 また、八村は、自分の成功が母国に与えるインパクトについて以下のように語っている。 「日本にとって大きなことだ。自分のように本格的にNBAでプレーする選手は、日本には今までいなかったので、私がドラフトされることは日本にとって非常に大きなことなんだ。これは大きなことだし、夢を与えることだ。私自身はもちろん、私の家族、日本のバスケットボール、そして日本全体にとって意味のあることだ」