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試合がなくてヒマなので。

nanai

作成日:2022年5月1日(日)15:15
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4月26日今季のスポーツマンシップオブザイヤーが発表されましてMILのドリュー・ホリデーが選ばれました(2年ぶり2度目)。おめでとうございます。 このアワード、正式名を「Twyman-Stokes Teammate of the Year Award」と言います。頭の部分Twyman-Stokesは人名で白人のジャック・トワイマンと黒人のモーリス・ストークスという1950年代NNBA黎明期の名選手の名前です。その二人についてのお話。 1958年3月ストークスはRS最後の試合で頭を強打しました。目立った異常もなく残りの時間をプレイし、3日後のPOでもプレイを続けました。その試合中に「気分が悪くなった」ストークスでしたが重大には捉えられず試合後空港で嘔吐もしたにもかかわらずそのまま飛行機に搭乗しました。 そして機内で「僕は死ぬかもしれない」と叫んだ後ストークスは動かなくなり、着陸後すぐに病院に搬送され「頭部外傷による全身麻痺」と診断されました。 NBAの給与が15000ドル程度だった時代です。年間10万ドル以上の医療費を支払う余裕はどこにもありませんでした。そこで立ち上がったのが同郷のチームメイト、ジャック・トワイマンです。 トワイマンは医療費を捻出するためにNBA内外で奔走し続けました。チェンバレン、オスカー・ロバートソンら選手たち、ホテルの経営者ミルトン・カッチャーらに掛け合い協力し合い、選手とストークスの友人としての多忙を極める二足の草鞋を履き続けました。 ある意味で残酷だったのは機内で叫んだ直後、全身麻痺になってからもストークスの意識はハッキリとし続けていたことです。ですがそれはストークスの「強さの証明」でもありました。 周りの目に届かないところで多くの苦悩があったことは想像に難くありません、それでもストークスはまばたきと文字盤で意思の疎通をし、人前でよく笑いました。ストークスの笑顔の映像は多く残っています。 リハビリの一環として手首から先のわずかな振動でタイプライターを打つ訓練をしていた時、ストークスが一週間かけて綴った最初の文章は「僕は君にどう感謝すればいい?」というトワイマンへの感謝でした。コメント欄に続く

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