ボブ・バス氏が死去

サンアントニオ・スパーズの元GM(ゼネラルマネージャー)のボブ・バス氏がサンアントニオの自宅で亡くなった。バス氏は89歳だった。 彼の孫にあたるブレア・バス・パークル氏によると、バス氏は現地8月6日に脳梗塞で入院したが、先週から自宅療養に切り替えていた。 バス氏がスパーズで仕事をした20シーズンの間に、チームは17回プレーオフに進出し、そのうち3回はウェスタン・カンファレンス・ファイナルに進出していた。 彼はスパーズで、GM、バスケットボール運営部門社長、代表補佐、ヘッドコーチ、アシスタントコーチといった様々な役職を務めている。 バス氏は、1994年にスパーズを去ってシャーロット・ホーネッツのGMに就任した。彼がGMをしていた9シーズンの間、ホーネッツは悪いシーズンを送ったことがなかった。彼は1997年にNBAエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2004年に引退した。 San Antonio Express Newsのトム・オズボーン記者が、バス氏のことをより詳しく紹介している。 「スパーズに在籍していた時代のバス氏は、厳格なチーム首脳であると同時に、落ち着いた父親のような存在だった。しかし、彼のチームへの確かな忠誠心は、彼の髪が白髪混じりから真っ白に変わるまで、決して衰えることがなかった。 スパーズの元スター選手のジェームズ・サイラスは、『ボブの姿勢は首尾一貫していた。彼は決して別人になろうとしなかった。彼は自分のルーツを理解していた。彼は田舎者で…、そして彼はコーチングのイロハを心得ていた。彼は私にとって特別な人間だ』とバス氏の思い出を語っている。 その『田舎者』は、スパーズのヘッドコーチに就任後、すぐに大きな決断をした。 彼は1974-75シーズン中盤にスパーズのヘッドコーチに就任すると、当時まだ23歳だったジョージ・ガービンをスモールフォワードからシューティングガードにコンバートしたのだ。」 彼は、オクラホマ・バピスト大とテキサス工科大でヘッドコーチをした後、数チームのABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)チームでのヘッドコーチを経て、1974年に当時まだABAに所属していたスパーズのヘッドコーチに就任した。1976年にNBAがABAを吸収合併すると、彼はチームのフロントへと転身した。彼は、GMや球団社長や代表補佐といった形で、後に常勝軍団となる球団の基盤を築くことに尽力した。 スパーズのグレッグ・ポポビッチHCはバス氏の死去に際して以下のような声明を発表している。 「約48年に渡り、ボブ・バスはABAとNBAに大きな影響を与え続けてきた。BB(バス氏)はプロ・バスケットボール界の真のパイオニアだ。彼のバスケットボールに関する知識と情熱と献身は素晴らしかった。我々は、バス家のご遺族に哀悼の意を表します。」

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