選手、コーチ、ジェネラルマネージャー、アンバサダーとして、ゴールデンステイト・ウォリアーズに60年以上携わってきたアル・アトルズが逝去した。87歳だった。ウォリアーズは日本時間8月22日(現地21日)に、アトルズが前日にサンフランシスコの自宅で家族に見送られて亡くなったと報告している。なお、死因は明かされていない。 プレイスタイルから「デストロイヤー」のニックネームで愛されたアトルズは、1960年のNBAドラフトで当時フィラデルフィアに本拠地を構えていたウォリアーズに入団。11シーズンで711試合に出場し、平均8.9点、3.5リバウンド、3.5アシストを記録。背番号16はチームの永久欠番になっている。 ウォリアーズは、「バスケットボールのゲームとベイエリアのコミュニティーの中で、特に家族的な男として、人道主義者として、深いレガシーを残しました。私たちは、妻のウィルヘルミナ、息子のアルビン、そして彼を知り、愛したすべての人々とともに、彼の死を悼みます」と、声明を発表している。 引退後はコーチに転身し、NBA初の黒人ヘッドコーチの1人となった。指導した選手の中には、殿堂入り選手のリック・バリーがいる。バリーは、「アルは私が1年目の時のルームメイトだった。コート上では学べない、プロフェッショナルとしての貴重な教訓を教えてくれた。その後、1975年の優勝シーズンにはコーチとして、リーダーシップ、団結力、鋭い戦略の力を発揮し、私たちが最高レベルで成功することを可能にしてくれた」と、往時のエピソードをウォリアーズの声明の中で明かしている。 アトルズは1970年から1983年までウォリアーズのコーチを務め、1975年にはワシントン・ブレッツをスウィープで破りNBAチャンピオンに導いた。通算557勝はフランチャイズ史上最多である。その後GMや副社長、コンサルタントを歴任。2019年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。 ウォリアーズのスティーブ・カーHCは、「多くの歴史を持つ偉大な組織の多くには、誰もがそのフランチャイズを連想する選手がいる。何世代ものウォリアーズファンにとって、彼はフランチャイズの顔なんだ。彼がいてくれて幸運だった」とコメントしている。